んはたしかに来なかったのだね」
「たしかにお見えになりません」
 最後に新十郎は浅草六区の地に立った。飛龍座をはじめ、小屋の一ツ一ツをメンミツに見て廻る。全部見て廻ってから、飛龍座の隣りの休業中の小屋へもう一度戻ってきた。飛龍座の楽屋口から、こっちの楽屋口へ細い路を距ててすぐ渡れるような構造であった。
 彼は番人をよんで、
「この小屋はズッと休んでいるのかね」
「ヘイ。とりこわして、新しい小屋をたてるとかでね。常盤座とかいう浅草一の立派な小屋をつくるとかいうことで」
「留守番はお前だけか」
「ヘイ。ほかに女が一人いますが、こんな何もない小屋のことですから、留守番なんぞいらないようなもので。お天気の日はあッしも女房も日中はたいがい働きにでて、帰ってくるのは夜の八時ごろでさア」
「小屋の戸は鍵をかけるのか」
「いえ、鍵なんざ、ありません。内側からカンヌキはかかりますが、それは夜だけのことで。自分の部屋の戸の鍵をしめるだけでタクサンさね。盗られるものは何もありやしませんや」
 新十郎は大道具の材木がつんであるところへきて、その片隅に五ツ六ツならんでいる古ぼけた大行李を指した。
「この行李の数
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