やりましたか」
「小馬鹿にしたと申しますと、何か致したのですか」
「致すも、致さないも、夜分、当別荘の玄関へ車をつけて、一個の行李を下して、本宅へ届ける行李だが、あとで誰か本宅へ届ける者が受けとりにくるから、その者に行李と二円の祝儀を渡してくれと云って、二円おいて行きおったのです。それから三四十分もたつと戻ってきて、門を叩いて喚きたて、行李をつんで、二円とりもどして行きおったのです。まことに憎いふるまいではありませんか」
「なるほど。して、先に行李を置いて行ったのは何者ですか」
「なに、当人です。小一時間ほどたって、再び現れて、持って戻っただけのことです」
「二人は同一人物でしたか」
「それは同一人にきまっていますとも。二円の仕事を人手に渡す車夫がいますか。昔からゴマノハエと雲助は道中のダニと申す通り、今日、東京のダニはスリと人力車夫。あのダニどもが、二円という大枚の手間を人手に渡すものですか。居酒屋で一パイやる間、この玄関へ保管をたのむ狡猾な手段でしょう」
 若い巡査はこれを本署へ報告した。もう暮れ方であった。
 この奇妙な報告だけでは、署の意見を動かす力にならなかったかも知れない。折も折、同じ署の管轄内で起った奇妙な出来事の報告がきていた。事件の主は、所も同じ万年町の長屋にすむ人力車夫の音次という男である。しかし捨吉とちがって、モーローではなく、上野駅の人力集会所に席をおく車夫である。
 昨夕方六時ちかいころ。短い日がトップリくれた時刻であるが、彼が戻り車をひいて公園下、今なら西郷さんの銅像のある山下を通ってくると、二十二三ぐらいと思われる女によびとめられ、根津までと云うので、彼女を乗せて池の端から帝大の方、当時は狐狸の住み場のようなところを通りかかると、
「ちょッと気分がわるいから、車を止めて」
 と云う。そこで、車をとめる。女は車を降りて歩くこと五歩六歩、しばらく佇んでいたが、
「アラ、ハンカチを落したわ。香水が匂うから、すぐ分るはず。私の足もとを探して」
 というので、音次がチョウチンをかざして地面へかがみこむと、女の足もとに、すぐ見つかった。
「姐さん。いい匂いだねえ」
「そうよ。舶来の上等な香水だから。日本にはめったにない品だから、たんと嗅ぎためておきなさい」
 と、こう冗談を言われ、音次もちょッと妖しい気持になった。場所といい、女のなれなれしい態度と
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