いい、いかにも気のある風情。なやましい気持がグッとこみあげる。そこで先ずハンカチの香気を思いきり吸いこんだと思うと、そのまま何も分らなくなってしまった。音次は程へて気がついてみると、車夫の服装をはがれている。二三時間土の上にねていたらしいが、寒気に死ななかったのが、まだしも幸せ。車夫の服装一式と共に、人力も消えてなくなっている。狐狸のすむ場所だから、本当に化かされたのかも知れないと、音次は青くなって逃げて帰った。
音次の車は翌日帝大の構内にすててあった。車の中に服装一式なげこまれていた。以上のような奇妙な報告がきていたのである。捨吉の話では眉目秀麗な青年紳士だが、音次の客は二十二三の女だという。話が合わない。そこで音次をよんで訊いてみた。
「ヘエ。チョウチンの明りでチョイと見ただけですが、ちょッとしたベッピンのようでした。なんしろ寒うござんすから、肩掛を鼻の上からスッポリ包みこんでいましたから、よくは分りません。頭はイギリス巻のようなハイカラでしたよ」
肩掛はショールともよんだ。今の人には見当もつかないような無骨な流行で、いわば一枚の毛布をスッポリかぶったようなもの。足はひきずるばかり、長マントのように全身をつつむのである。人力にのれば膝かけとなり、百花園へ行けば座ブトンになり、馬車にのれば被り物にもなるなどと当時も言われた程のもの。しかし明治二十年前後には一世を風靡した婦人の流行服装なのである。
こういうもので鼻から下をスッポリ包んでいては、人相はシカと分りッこない。
「行李のようなものを運ばせたのではないか」
「いえ。行李なんぞ持ってやしません。ちょッとした包みを持っていましたが、カサはあるようでしたが重い荷物ではございませんでしたね」
まったく符合するところがない。
しかし、署の老練家のうちにも、死体を点検して、捨吉の犯行を疑っている者もあった。殺し方がむごたらしい。ノドをしめて殺しているが、両の目に一寸釘をうちこんでいるのである。手ごめにして殺しただけの捨吉が、こんなむごいことをするであろうか。又、汚物をふき去って、シサイにしらべてみると、暴行されたような形跡がない。
だが、又、他の老練家は説を立てて、
「ナニ、一寸釘を両の目に打ちこんだのも、二人の車夫に化けたのも、みんな捨吉のカラクリなのさ。暴行された跡がないのは、自宅で存分慰んだあげくだから
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