祖なのである。
別天王は俗名を安田クミと云って、当年三十五、亭主もあるし、子供もある。貧乏なトビの娘に生れて、十四の年にタタキ大工の安田倉吉と結婚し、翌年一子を生んだ。それ以来、夫婦の行いを嫌い、天地二神の来迎を目のあたり見るようになったのである。一子は後に千列万郎と改名し、教会の二代目をつぐべき人となっている。
別天王の最初の信者になったのは亭主の倉吉である。裏長屋の自宅を教会に若干の信徒を集め、まもなくタタキ大工の倉吉が自分でたてた門構えの教会へ移り住んだが、そのころは若干の信徒だけに名が知れていたにすぎなかった。突如天王会の名が天下に知れたのは数年前、世良田摩喜太郎が洋行から帰って、別天王を信仰するようになったからだ。
世良田は明治初年に地方の府県知事を二ヶ所歴任したあと、地方行政、税法、選挙制度など研究の任務をおびて洋行し、十一年間遊学して帰朝したのである。末は国政の柱石たるべき人と目されていたのに、本業をうッちゃらかして、別天王の一番番頭となってしまった。別天王の色香に迷い、籠絡されたという説が専らであったが、これが人気をよんで天王会は忽ち天下の注目をあつめた。十一年間
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