は必ず額の前にきこえる、というのが信徒の常識となっておりますが、ひそかに私が実験して人知れず坐所を変えてみましても、かの声は常に額の前方に、したがって常に中央の上下いずこよりか発していることはマチガイございません」
「中央に坐しているのは世良田摩喜太郎一人ですか」
「左様です。そして告発をうけたものは、中央の空地へよびあつめられ、世良田の四囲をのたうちまわって狼に噛み殺されるのであります」
さすがの新十郎も茫然と考えこんだ。大将がこの有様であるから、花廼屋《はなのや》や虎之介が面色を失ったのはムリがない。
新十郎はいかにも力なく顔をあげて、
「どうも、牧田さん、あまりに奇ッ怪で、お話の一ツ一ツがはじめて耳にすることばかり。特に何を手がかりにお聞きしてよいのやら皆目見当もつきません。とても私などが特に質問すべきことは見当りませんから、あなたの御意見をそッくりきかせていただきましょう」
「心得ました。私にも、時にあまりに奇ッ怪で殆ど魔神の実在を信ぜざるを得ない場合があるのですが、見聞のありのままをお伝えすることに致します」
そこで牧田は語りだしたが、あまり話が長すぎるので、その要点だけを読者にお伝えしておこう。
★
天王会には「カケコミ」という行事がある。これをすまさないと信徒の列に加えてもらえない大切なもので、いったん教会へ通いだしてからカケコミをあげるまでの期間は素人(ソジン)と称して信徒と区別されている。
つまりカケコミとは、わが家から教会へカケコムことではなく、精神的に神のフトコロへカケコムことの意であるが、そうと分るのは信仰をはじめてからのことで、一般の人々はわが家からカケコムせいだと考えている。これをいかにもそう思わせるような唄があった。ソジンがカケコンで信徒になるには荘厳な儀式を行う。そのときの唄が、
せつないときは かけこみ かけこみ パッとひらいて 天の花
この合唱には月琴、横笛、太鼓、三味線、拍子木、これにハープとヴァイオリンとクラヴサン(ピアノの前身のようなもの)が加わっている。これだけの楽器は儀式の表面へ現れて演奏されるが、この合奏の中絶した時にも常に妙なる好音が小川のせせらぎの如く野辺の虹の如く星ふる夜の物思いの如く甘美に哀切に流れていて、これは物蔭にあるオルゴールの発する音だという。
さてカケコミの唄と
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