。それには先ず天王会の教義を申上げる必要があるのですが、この教会では安田クミを教祖にたて、これを広大天尊、赤裂地尊の化身たる別天王と崇めることは一般に知れ渡っておりますが、このほかに快天王と称する隠し神があるのです。「隠し神」と申すのもこの教会の特殊な用語ですが、つまりこの神の本体が分らないのです。一説に赤裂地尊の荒ぶる姿であると申しますが、それも臆測にすぎません。快天王はヤミヨセの時に限って出現するものとされておりますから、一般信徒は一年に一度だけこの神の現れを見聞できるわけですが、これこそはあらゆる信徒をして一夜に白髪たらしめるに足る魔力を具備いたしておるのです。即ちかの恐怖にみちたヤミヨセの行事を司会するものは快天王であります。彼は世良田摩喜太郎の問いに答えて、ああせよ、こうせよと命じますが、その言葉はハッキリときこえて参りますが、いずこより来たる声か、それを発する言葉の主はついぞ知ることができません。あるときはモノノケの発する声の如く怖しく、あるときは悲しめる美女の如く哀切に、あるときは母を恋うる幼児の如く物悲しく、千差万別、泣くが如くむせぶが如しと思えば海山を裂くが如くにすさまじく、密偵たる私といえども、そのいずこより、又、いかにして発する声か知りうる術がありません。この謎は幹部といえども知るあたわず、ひたすら魔神の魔力の実在を信じ、これによって教団の基礎は不動のものの如くであります。つまり、信徒の不信を告発しその罪状をあばくのも、狼をよんでけしかけるのも、すべて快天王の声によってなされるからで、ヤミヨセの恐怖こそは快天王への恐怖にほかならず、信徒たるものの快天王を怖るることは言語に絶しておるのです」
「何者かサクラを使って発声せしめているのではありませんか」
「誰しも一度はその疑いをもつのです。いかな信徒といえども、無批判に魔神の実在を信ずるものではございません。しかし、快天王の声は、ある時は地下よりの如く、ある時は頭上よりの如く、しかし常に必ず中央のいずこよりか聴えて参るのです。即ち、ヤミヨセの行事は広間に円陣をつくり、中央に空地をのこし、空地の中央にただ一人世良田摩喜太郎が坐をしめて、快天王の出現を乞い、その告発を乞うのであります。即座にそれに応じて快天王の怖るべき告発が発せられますが、円陣のどこに坐しても、その声は自分の前方にきこえます。快天王の声
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