音楽に合せてドッと津浪のように又山々のゆれるように無我境の踊りが起るのであるが、これは許されて信徒となった者のみが会得する果報な踊りと云われている。ソジンのうちはよくまちがえて、「パッとひらいた[#「た」に白丸傍点]天の花」というが、実は「パッとひらいて[#「て」に白丸傍点]天の花」このタとテの別が、ハッキリ分らなければ信徒にはなれない。又、その別が分るような現象があって、それを認知したもののみが信徒になれるという。そこで「ツレコミ」ということが起る。即ち、カケコミの儀式の末席に立会いを許された見物人のソジンの中から行事につれて会得する者が起り、自然にカケコンでしまうことを云うのであるが、カケコミの当人よりもツレコミの入信者がよい信者になれると云われている。
 パッとひらいて、のテが大切。即ち何かをパッとひらいて天の花を見るという意味らしいから、さては股をパッとひらいて果報を得るという意味さ、なぞと口サガない俗人どもに云いふらされ、いかにもそうのような、助平な邪教視する向きが多かったが、カケコミの行事にはそのようなワイセツなものはなかった。
 カケコミを成就すると、天がさけて虹がふる、と云われ、妙花天に遊ぶ果報をうると云われる。これが果報の第一課であるが、カケコミを成就したものはいかにも顔がハレバレして、妙花天に遊ぶ果報を得たことがうなずかれる。牧田はこれに苦労した。ウッカリ妙花天に遊んでしまうと、牛沼雷象の二の舞を演じなければならなくなる。さればといってカケコミを成就しないと信者の列に加えてもらえないから、カケコミの行事をつぶさに観察し、カケコンだ人の身ぶり顔ツキを充分に練習しておいて、入信の儀式にパスすることができた。
 さて信徒になると教会に来て日毎の行事に唄い踊って妙花天に遊ぶ果報にひたるのが人生最大の悦楽となり、自然に財産を寄進して無一物になるまでに至る。無一物になるにしたがって神に近づくと云われ、信心の深さによって幾つかの階級があり、一段ごとに荘厳厳格な儀式と許しを経て進むのである。牧田は辛うじて二段上ったばかりで、とてもその上へは進めなかった。
 山賀侯爵が全財産をあげて教会へ奉公して見る影もない生活に甘んじていることはすでに述べた通りだが、殺された神山幸三、佐分利母子、いずれも全財産をあげて寄進した人たちで、幸三は親が死んで継いだばかりの財産を一年足
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