明治開化 安吾捕物
その二 密室大犯罪
坂口安吾
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)大形《おおぎょう》さに
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ニヤリ/\と
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秋ばれの好天気。氷川の勝海舟邸の門をくぐったのは、うかない顔の泉山虎之介であった。よほど浮かない事情があるらしい。
玄関へたどりつくと、ここまで来たのが精いっぱい、というように、玄関脇に置いてある籐椅子にグッタリとつかまって、吐息をついた。こわれかけた籐椅子がグラつくのも気づかぬ態に腰かけて、額に指をあててジックリと考えこんだがミロク菩薩のような良い智慧はうかばないらしい。時々、思い余って、ホッと溜息をつく。鯨が一息入れているような大袈裟な溜息だが、本人はその溜息にも気がつかないらしい。よほど大きな煩悶と真ッ正面から取り組んでいるのだろう。
彼は思いきって立ち上った。出発寸前の特攻隊の顔である。自分の思考力に見切りをつけるということが、この大男には死ぬ苦しみというのかも知れない。
女中に訪いを通じると、例によって海舟のお側づきの女中小糸が代って現れて、奥の書斎へみちびいてくれる。早朝のことで、ほかに来客はいなかった。
「早朝より静謐を騒がせまして、無礼の段、特におゆるし下さりませ」
声涙ともに下るという悲痛の様で、あやまっている。いつもながらの大形《おおぎょう》さに海舟は笑って、
「借金の依頼、身の振り方の相談、オレのところへは相談ごとにくる人間の絶えたことがない。人殺しの兇状もちが、かくまってくれといってきたこともあったよ。二三日おいてやって、ここはもう門前に見張りの者がついている。危いから、これこれの人を頼って行けと握り飯を持たせてやったが、この男は立ち去るまで挙動は尋常で、食事なども静かに充分に食べて、夜も熟睡していたぜ。虎はどうだエ。ゆうべは眠っていなかろう。お前ほど思いみだれて智慧をかりに来た人はいないが、探偵は、皆、そんなものかえ」
「ハ。凡骨の思慮のとどかぬ奇ッ怪事が、まま起るものでござります。内側よりカケガネをかけ密封せられたる土蔵の中で、殺された男がございます。犯人は外へのがれた筈はありませんが、煙の如くに消えております」
「今朝の新聞で見たが、人形町の小間物屋の話かえ」
「ハ。まさしく左様で。本朝未聞の大犯罪にござります」
人形町の「川木」という小間物屋で、主人の藤兵衛が土蔵の二階の部屋で殺されていたが、発見されたときは部屋の戸に内側のカケガネがかかっていたという。そのころの新聞記事というものは、三面記事の報道に正確を期するような考えはない。面白おかしく尾ヒレをつけ興にまかせて書きあげた文章であるから「上等別嬪、風流才子、、美男番頭、いずれ劣らぬ達者なシレ者、馬脚を露わすそも誰人か」と結んであるのがその記事である。上等別嬪というのは藤兵衛の妾、お槙《まき》のこと。こんな記事を読んだところで、犯人の見当をつける手掛りにならないばかりか、とんだ嘘を教えこまれるばかりである。
「藤兵衛は土蔵にくらしていたのかえ」
「土蔵の二階半分を仕切りまして、居間にいたしておりました。一代で産をきずき、土蔵もちになったのを何よりに思っておりましたそうで、常住土蔵に坐臥して満足を味っていたのだそうでございます」
「妻子も土蔵の中にいるかえ」
「いいえ、藤兵衛一人でございます。至って殺風景な部屋で、なんの部屋飾りもなく、年々の大福帳と、大倉式の古風な金庫が一つあるだけでございます」
「ハバカリは、どうしていたえ?」
「さ。それは聞いておりません」
「そんなことも一度はしらべておくものさ。罪の根は深いものだ。日常のくらし、癖、それをようく知ってみると、謎の骨子がハッキリとしやすいものさ。それでは、お前が見てきたことを、語ってごらんな。後先をとりちがえずに、落附いて、やるがいいぜ」
「ハ。ありがたき幸せにござります」
虎之介は思わずニッコリと勇み立って、一膝のりだして語りはじめた。
★
藤兵衛は横山町の「花忠」という老舗で丁稚から叩きあげた番頭であったが、主家に重なる不幸があって、主人はわが家に火をつけて、火中にとびこんで死んでしまった。それが寛永寺の戦争の年だ。主家は没落したが、白鼠の藤兵衛は、自分だけは永年よろしくやっていたから、少からぬ貯えができている。年も、三十。独立して踏みだすには盛りの年齢であった。
人形町の今の場所に空き店があったから、それを買って、開店した。没落した主家の顧客を誰に遠慮なく受けつぐことができたし、自ら足を棒にして、新しい顧客を開拓した。商売は盛運におもむいて、店を立派に新築し、地つづきの裏店を買いとって、離れと、大きな土蔵をつくった。これを一時期にして、彼は土蔵の二階に居間をつくって、金庫と帳簿を抱えて住みつくことになり、店を番頭にまかせたが、彼には、彼のあみだした方針があった。
近所の横山町には小間物店の老舗がそろっている。シッカと年来の顧客をにぎって、微動もしない屋台骨を誇っている。新規開店の川木では、そうおさまってはいられない。彼自身も足を棒にして顧客を開拓したが、今後もそれを怠るわけにいかない。
小間物屋の顧客は主として花柳界、つづいてお邸や大商店の奥様お嬢様などであるから、そこへ出入りする番頭は、男ッぷりがよくて愛想がよくて、御婦人方の気に入られる男でなければならない。ところが、男がよくて愛想がよいから、もてる。あげくに手に手をとって、というのはまだ良い方で、お出入り先のたくさんの御婦人連とネンゴロになりすぎて、事を起し、店の信用を落してしまうというのが、少くない。
そこで藤兵衛は考えて、お得意まわりに一人前の番頭をやるからいけない。これは小僧をやるに限る、こう結論して、利発で、愛嬌があって、愛想もよくて、顔の可愛い子供を十一二から仕込んで、十五六になると、そろそろお得意まわりにだす。これが非常に効を奏した。花柳地では、姐さん連に可愛がられるし、お邸の奥様方にも、気がおけなくッて、おもしろくッて、この方がよいという評判である。
そこで藤兵衛の店では、番頭の修作が二十三、大そう若い年だが、これが唯一人の大人である。もっとも、藤兵衛の甥の芳男という修作と同じ年のが、藤兵衛の代理格で、働いている。
以上の二人をのぞくと、あとは十八の金次、十七の正平、十五の彦太郎、十三の千吉、十二の文三、みんな子供だ。金次と正平はすでに顧客まわりのベテランで、ちかごろは彦太郎もやりだした。千吉と文三はまだ見習いである。いずれも藤兵衛の好みにかなう要素をそなえた美少年であるが、金次ぐらいになると、そろそろ遊びも覚えてくる。商店の小僧は早熟であるから、藤兵衛の流儀で行くと、金次はそろそろ顧客まわりに不適になっているのである。
これが藤兵衛新案の人形町川木の性格であった。
藤兵衛には子供が一人しかない。アヤという十八になる一人娘であるが、胸の病があるので、向島の寮に女中を二人つけて養生にやっている。アヤの実母は三年前に死んで、柳橋で芸者をしていた妾のお槙をひきいれて、土蔵につづく離れの一室に住ませている。
そのほかに、お民、おしの、という大そう不別嬪の女中が下働きをしている。以上が川木の全家族であった。
土蔵の中の藤兵衛は、毎朝七時に熱いお茶をのむ習慣があって、おしのがヤカンの熱湯と梅干を土蔵の中へとどけることになっていた。
この日も、いつものようにヤカンを持って土蔵の二階へ上ってみると、昨夜十二時に部屋の外へおいてきた夜食が、そのままになっているのである。藤兵衛は食事は離れへでてきてお槙と食べるのであるが、夜食だけは、土蔵の中で、毎晩十二時にお握りを食べる。昨夜もおしのがお握りを持って行くと、部屋の板戸にカギがかかっているらしく、あかないのである。めったにそんなことはないけれども、もうお寝《やす》みかと、部屋の外へお握りの皿をおいてきたのである。ところが、それがそのままになっている。
藤兵衛は、夜はおそいが、朝は早い。六時半ごろ起きて、チャンと手洗をすましている。ヒルネをする習慣があるから、これで睡眠は充分なのである。朝の七時にヤカンを持って行くと、必ず起きている藤兵衛が、前夜からズッと眠り通して起きてこない。戸には内側からカギがかかっているし、呼んでも返事がないから、おしのも怪しんだ。
離れのお槙を起してみようかと思ったが、お槙は昨夜泥酔してねむったことを知っているので、藤兵衛の甥の芳男のところへ行った。ところが、芳男の部屋にはフトンがしいてあって、ねたあとがあり、何か荷造りをしかけたものが置き残してあるが、部屋の主はモヌケのカラで、外泊の様子。仕方がないから、番頭の修作を叩き起して、この旨をつげた。そこで修作がネボケ眼をこすりながら、土蔵へ行ってみると、注進の通りで、戸を叩いても、呼んでも返事がない。フシギであるから、お槙をよび起して、戸を押し破ってはいってみると、藤兵衛は脇差で胸板を刺しぬかれて死んでいたのである。
戸が内側からカギがかかっていた。その密室で人が殺されているから、この謎は難物である。そこで新十郎をよびむかえることになった。
新十郎は例によって花廼屋《はなのや》因果と泉山虎之介の三人づれ。古田鹿蔵巡査の案内で、人形町へやってきた。
藤兵衛の傷は背後から背中を一刺しにしたものだ。ちょうど肝臓のあたりを刺しぬいて、切先が三四寸も突きぬけている。死体は脇差を刺しこまれたまま、こときれていた。脇差は藤兵衛の座右の品。この川木屋で刀といえばたッたこれが一本しか存在しない。藤兵衛は自分の刀で何者かに背後から刺し殺されたものだ。血の海であった。金庫はそのままで物を盗られた跡はない。
「十二時には、もう殺されていたのだなア。すると、宵の口に、やられたのだろう。客が来て、話をしている。ちょッと立った隙に、客が有り合せた脇差をつかんで背後から刺したのだろう」
虎之介がこう呟くと、花廼屋が笑って、
「そんなこたアどうでもいいのさ。カケガネが内側からかかっていたのがフシギじゃないか。そこが心眼の使いどころだよ」
虎之介は花廼屋を睨みつけた。至って遠見のきかない心眼のくせに、口だけは利いた風なことを云う。それが一々、虎之介のカンにさわっで仕様がないのである。
新十郎は家族によって押し倒された板戸を立てかけて入念に調べていた。押し倒されたハズミにカケガネは外れている。カケガネの鐶《かん》は板戸にチャンとついている。
新十郎は二三尺離れたところから、五寸釘を探しだした。それは明かに、鐶をかけて差しこむための五寸釘である。別に曲ったり、傷がついたところはない。
新十郎は板戸の鐶とその附け根をしらべていたが、そこにも傷んだ跡はなかった。
「板戸を押し倒した時に、カケガネは簡単に外れたんですね。五寸釘も傷んでいないし、カケガネも傷んでいませんよ」
「するてえと、カケガネはかかっていなかったんじゃないかなア。何かの都合で戸の開きグアイが悪いのを、早合点して、カケガネがかかっているものと思いこんだんじゃないかねえ」
これをきいて喜んだのは虎之介。プッとふきだして、
「何かの都合ッて、なんの都合で戸が開かなかったんだい。その都合をピタリと当ててもらいたいね」
「なにかの都合がよくあるものさ」
「ハッハッハ」
虎之介はバカ声をたてて笑っている。
新十郎は、まず、最初に疑問をいだいたという女中のおしのをよんだ。二十一二の近在の娘で、ここへきて五年になる。お江戸日本橋の五年の生活で、すっかり都会になれている。
「お前はヒキ戸をひいてみて、カケガネがかかっていると分ったのだネ」
「ハイ。そうです」
「どうしてカケガネがかかっていると分ったのだネ」
「戸のアチラ側ですから別にカケガネがかかっているのを見たわけじゃアありませんが、この戸はカケガネをかけると開きません。ほかに開かない仕掛けはありませんからネ」
「カケガネの
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