ことだから、かかっていても、細目にあくだろう。そこからのぞいたら、カケガネは見えそうなものだ」
「そんなことをしなくッとも、戸があかなければカケガネがかかっているにきまっています」
「お前が主人を最後に見たのはいつごろのことだね」
「ゆうべは旦那から指図がありまして、今夜加助がくるだろうから、来たら土蔵へ案内しろと云いつけられていましたから、加助さんの顔が見えると案内しました」
「加助とは、どんな人だ」
「今年の春まで、ここの番頭をつとめた人でございます。五月ごろヒマをもらッて、そのときは、旦那に叱られて、追んだされた筈でございますよ」
「なんで叱られたのだね」
「オカミサンに懸想《けそう》したとか、酔ってイタズラしたとか、そんな噂でございます。それは無実の罪でございますよ。これだけの大家の番頭を十何年もつとめあげて、追んだされてから大そう貧乏して、細々と行商をやってるそうですが、そんな実直な白鼠が、この日本橋にほかに誰がいるものですか。みんなよろしくやって、お金をためこみ、女を貯えているものでございます。あの番頭さんだけは、ちッとは女遊びぐらいしたかも知れませんが、ほかの白鼠なみのことは爪の垢ほどもしたことのない律儀者でございます。細々と行商して貧乏ぐらしをしているときいて、旦那は後悔なさったそうですよ」
「今の番頭の修作はどうだえ」
「そんなこたア知りません」
ほめないところを見ると、否定の意味になるのであろう。
「加助が来たのは何時ごろだえ」
「ちょうど九時すぎごろでございます。三四十分ぐらいして帰りましたが、帰りぎわに、旦那からのお云附けだが、オカミサンと芳男さんを呼んでらッしゃるから、お二人にそう申上げて、土蔵へ行かせてあげて下さい、との話でした。それで、オカミサンと芳男さんに申上げて、お二人は土蔵へいらッしゃったと思いますよ」
「お前が御案内したわけじゃアないね」
「当り前ですよ。オカミサンじゃありませんか。私ゃ、オカミサンと芳男さんが土蔵へはいるのは見ませんが、出てきてからのことなら、知っていますよ。オカミサンは台所へきて、一升徳利をわしづかみに、ゴクゴク、ゴクゴク、六七合たてつづけに呷《あお》りましたね。にわかに酔っ払って、大そうな剣幕で、土蔵の中へあばれこんだのを見ていました。芳男さんがそれを追って行って、中で十分か二十分ぐらいゴタゴタしていましたが、あとは気をつけていませんでした」
「そのほかに、変ったことはなかったかネ」
「変ったことと云えば、この四五日、旦那は土蔵からお出になりません。いつもは離れでオカミサンと食事をなさるのですが、この四五日は食事を土蔵へとりよせて一人で召しあがっていました。オトトイのことですが、私が夕御飯を土蔵へ持ってあがりますと、番頭さんがよびつけられて叱られていました。きいたのはホンの一言二言ですが、お前のような番頭では、この店がつぶれてしまうぞと、きついお言葉でしたよ」
最初におしのを訊問したのは意外の成功であった。川木屋の内情について、ほぼリンカクをつかむことができたのである。
番頭の修作が若すぎると思ったのも道理、加助という十年来の番頭が、クビになったばかりなのである。ここに曰くがありそうだということは、先ず察せられることであった。
そこへ鹿蔵巡査がやってきて、
「刑事が見つけたのだそうですが、お槙の部屋のクズ入れから、こんなものが出てきたそうです」
四ツに切りさいた半紙であった。合せて読んでみると、三行《みくだ》り半《はん》である。日附は十月五日とある。昨日である。お槙が酔っ払って、土蔵の中へあばれこんだというわけが、これで分ったようである。
しかし、新十郎は、お槙の訊問を後まわしにして、
「古田さん。番頭の修作をつれてきて下さいませんか。それから、ヒマをもらった加助という前の番頭を、ここへ呼んでおいて下さい」
と鹿蔵にたのんだ。まず外部をかためて、最後に中心をつこうという訊問の正攻法であろう。
★
利発で愛想のよい美童に限って使用するという川木の流儀の通り、修作は、見るからにアカぬけた好男子、ニコニコといかにも人をそらさない明るい愛嬌がある。
新十郎は彼をむかえ入れて、
「おまえが旦那を見かけなすった最後の時はいつごろだえ」
「私は昨晩は八時にヒマをもらいまして、遊びにでておりまして、旦那にはお会いしておりません。御承知でもございましょうが、昨日は五日、水天宮さまの縁日でございます。この日は夜ッぴてこの通りも混雑いたしますから、一日、五日、十五日の縁日に限って、当家は夜の十二時まで店をひらいております。ですが、店員全部居揃う必要もありませんので、五日の縁日には、私と正どんと文どんが夜の八時から休みをもらうことになっております。その代り、十五日の縁日には私どもが十二時まで働きまして、五日の居残り組が休みをもらうことになっております」
水天宮の縁日といえば、虎の門の琴平とならんで、東京随一の人出である。今では盛り場も移り変っているから、今の人には分らないが、当時は東京で最大の人出が水天宮と琴平の縁日なのである。浅草観音の縁日も、当時は遠く水天宮に及ばなかった。
この縁日の日は、朝の未明から深夜に至るまで、混雑きりもない。東京の人々はいうまでもなく、近郷近在十数里からワラジをはいてこの賑いを楽しみにくる農家の人々も数が知れない。水天宮から人形町の通りは、夜は一面の大ローソクあかあかと昼をあざむくばかり。見世物、露店、植木屋、ズラリならびつめて客をひく。
人形町の商店がこの日に限って夜中まで営業するのは当然のことである。しかし、又、この賑いを目の前にして、全然遊びに出されないのも切ないから、半々にわけて、夜の八時から休みをもらうというのは大そう親切なやり方である。こんなところを見ると、藤兵衛は思いやりのある主人であるらしい。
「おまえは一晩縁日の賑いをたのしんでいたわけだね」
「いいえ。私はもう水天宮の縁日は十年もの馴れッこで、縁日なんぞ、そうブラつきは致しません。この一日から十五日まで、寄席の金本に、円朝がかかっております。西洋人情噺、十五日の連続ものでございます。今月の金本は前代未聞の大興行と申すのでしょう。円朝、円生、円遊、円右、馬車の円太郎、ヘラヘラ万橘、金潮、新潮の落語、手品が、西洋手品天下一品の帰天斎正一に女テジナの蝶之助、水芸の中村一徳、鶴枝の生人形、そこへ新内が銀朝ときてます。ほかに女清元の橘之助、女新内の若辰などと、一流どころの真打をズラリとそろえた番組、こんな大それた番組は二度と再びあることではございません。なんでも、秋葉原へかかっている茶リネの西洋曲馬団が大そうな人気だそうで、それに負けない人気番組を特に興行しているらしゅうございますよ」
茶リネの西洋曲馬というのは伊太利《イタリー》人チャリネのひきゆる二十数名の外人一座、八月に来朝し、秋葉原に興行して、東京中をわかせるような大評判をとっているのである。
愛想のよい修作はニコニコとおシャべりをつづける。
「私は今月の金本には初日から通いつめております。名人ぞろいのこととて、一々が面白うございますが、特に円朝の西洋人情噺、これを一日でも聞きもらしてはたまりません。あいにくラクの十五日が、私の居残り番の縁日の当日ですが、円朝は真打ですから、三十分も早めに店をきりあげると、間に合うだろうなぞと考えて、おりました」
「金本のハネるのは何時だね」
「だいたい十二時ごろでございます。私はそれから忠寿司で一パイやって、帰り支度の縁日をひやかして、帰ってきたのが二時ごろでございます」
「正平と文三も一しょかえ」
「いいえ。子供は寄席よりも縁日が面白うございますよ。私が一円ずつ小遣いをやりましたが、店からいただいた小遣いに合せて、求友亭で一円五十銭の西洋料理というものをフンパツしたらしゅうございますが、今朝はうかない顔をしているようですよ」
「八時に遊びに出たんじゃア昨夜のことは何も知らないわけだが、二時に帰ってきて、変ったことはなかったかえ」
「ちょッと酒をのみましたので、今朝起されるまで何も知らずに寝こんでしまいました」
「四日の晩の夕飯のころに、主人によばれて土蔵へ行ったそうだが、どんな用があってのことだネ」
「左様です。ちょッと申上げにくいことですが、旦那が非業の最期をおとげなすッた際ですから、包まず申上げます。オカミサンと芳男さんの仲がどうこうということを、疑っておいででした。そして私に包まず教えろとのことで、大そう困却いたしました。なんとか云い逃れましたが、私まで大そうお叱りを蒙った次第でございます」
「オカミサンと芳男の仲は、どんな風だえ」
「手前どもには分りかねます。どうぞ、当人にきいて下さいまし」
「昨夜二時に戻ったとき、芳男の姿はもう見えなかったかネ」
「私は小僧どもに近い方、芳男さんは離れに近い方で、ちょッと離れていますから、なんの物音もききませんでした」
三行り半がでてきたところをみると、お槙と芳男の関係は実際あることのようである。人の情事の取調べにかけては、さすがに田舎通人、ぬけ目がない。おしの、おたみの女連、彦太郎、千吉、文三という小ッちゃい子供連、これをよびあつめて搦手《からめて》から話をたぐりよせる。女はお喋りであるし、小さい子供は情事について批判力がまだ少ないから、噂のある通りを軽く喋る。綜合すると、お槙と芳男の仲は、すでに町内で噂になっているほどであった。
花廼屋は女子供から調べあげてきて、ニヤリ/\と鼻ヒゲの先をつまんでひねりながら、
「おさかんなものだねえ。皆々よろしくやっていますよ。芳男はお槙のほかによし町の小仙という妓《こ》の旦那をつとめているね。小唄の師匠というのに入れあげてもいるそうだ。修作もよし町のヒナ菊という妓の旦那を相つとめているね。ほかに、女義太夫の若い妓をかこっているそうだ。さらに驚くべきことには、十八の金次が豆奴という半玉とできているわ、十七の正平が染丸という姐さんに可愛がられているわ、出るわ、出るわ、ほじくればキリがないやね。芳男と修作は前の番頭の加助が煙たいから、ワナにかけて、追いだしたという説があるね」
大そうネタを仕込んでくるから、虎之介はむくれて、
「いい加減な説を真にうけちゃア、立派な推理はできないぜ」
「そこが剣術使いのあさましさ。私はね、これを千吉、文三、、彦太郎という当家の丁稚からききだしてきたのだよ。加助がお槙にフシダラなことをしかけて当家を追放されたのは五月五日、節句の日だね。この晩は男の祝日だから酒がでる。一同ヘベのレケに酔っぱらッたが、男連と一座して飲んでいたお槙がまず酔いつぶれ、自分の部屋まで戻らずに、かたえの小部屋で畳の上にねこんでしまったんだね。それへ誰かが、ありあわせのフトンをかぶせておいた。酔い痴れた加助がフトンの中へ這いこんでお槙を抱いて寝ようとしたから、お槙が怒って、喚きたてた。酒席の男女、店の者全部そろってドッと駈けつけたから、たまらない。事を秘密にすますわけにいかないから、この番頭では店の取締りができないと加助は即日クビをチョンぎられて出されてしまったということさ。ここに千吉、文三という酒をのんでいなかった子供たちの証言がある。酔い痴れた加助が畳の上へゴロンとねようとすると、芳男と修作が加助にすすめて、ここで寝ちゃア風をひく、あの小部屋に正平が酔いつぶれてフトンをかぶって寝ているから、番頭さんもいっしょにフトンをひッかぶって寝《やす》みなさいと、お槙のねているのを正平だと云ってすすめたという話だねえ。なに正平は自分の小僧部屋へあがって小間物屋をひろげて寝ていたのさ。お槙が酔いつぶれて、自分の部屋でないところでねていたてえのも、かねて打合せた仕業かも知れないなア」
大そう重大なことである。そうなると、藤兵衛が非業の最期をとげる直前に加助をよびよせていることが、非常に重大な意味をもつ。藤兵衛が加助を追いだしたことを後悔して、彼をよびよせて何事か密談し
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