の代り、十五日の縁日には私どもが十二時まで働きまして、五日の居残り組が休みをもらうことになっております」
水天宮の縁日といえば、虎の門の琴平とならんで、東京随一の人出である。今では盛り場も移り変っているから、今の人には分らないが、当時は東京で最大の人出が水天宮と琴平の縁日なのである。浅草観音の縁日も、当時は遠く水天宮に及ばなかった。
この縁日の日は、朝の未明から深夜に至るまで、混雑きりもない。東京の人々はいうまでもなく、近郷近在十数里からワラジをはいてこの賑いを楽しみにくる農家の人々も数が知れない。水天宮から人形町の通りは、夜は一面の大ローソクあかあかと昼をあざむくばかり。見世物、露店、植木屋、ズラリならびつめて客をひく。
人形町の商店がこの日に限って夜中まで営業するのは当然のことである。しかし、又、この賑いを目の前にして、全然遊びに出されないのも切ないから、半々にわけて、夜の八時から休みをもらうというのは大そう親切なやり方である。こんなところを見ると、藤兵衛は思いやりのある主人であるらしい。
「おまえは一晩縁日の賑いをたのしんでいたわけだね」
「いいえ。私はもう水天宮の縁日は十
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