叫んだが、新十郎はとりあわなかった。彼は刑事にひッたてられて、所轄の警察へ拉し去られた。
「やれやれ、事件は急転直下解決いたしましたなア」
 と、虎之介がホッと息をつくと、新十郎はすまして、
「さア、どうですか。なかなか一筋縄ではいきません。奥には奥がありますよ」
「そんなバカな。動機と云い、血痕と云い、ハッキリしている。カケガネのはずし方、かけ方まで自分でちゃんと説明しとるじゃないですか。私は犯人ではございませんと云う奴を犯人でないときめるバカ探偵、甘スケ探偵があるもんですかい」
「ブッ、偉い! あなたは、甘くもなければ、バカでもないよ。ですが、あなた。ね、剣術の心眼と、探偵の心眼は、又、別のものだねえ。アレをごらん。アノ、土蔵の中の土。ね。これですよ。ここに心眼をジッとすえなくちゃア、この犯人はつかまりません」
「くだらないことを云うな。土ぐらい鼠が運んでくらア。この田舎通人のボンクラめ」
「あなたヤケを起しちゃいけませんねえ。探偵がヤケを起して、土ぐらい鼠がもってくる――鼠がもってくるかねえ。それはモグラの事でしょう。ですから、あなた、犯人はとてもつかまりません」
 明朝十二時に新十郎の家で勢ぞろいすることにして、一同は別れ、めいめいが思い思いのところへ探偵にでかけた。

          ★

 海舟は砥石をひきよせ、しずかにナイフをといでいる。とぎ終ると、ナイフを逆手にもって、チョイと後ろ頭をきる。懐紙をとりだして、存分に悪血をしぼりとっている。それがすむと、今度は指をチョイときる。そして存分に悪血をしぼる。こうして虎之介の話をきき終った。
「カヘーがさめるぜ。それがさめちゃア、まずいものだ」
 虎之介に珈琲をすすめ、自分はなおしばしナイフを逆手にあちこちから悪血をしぼりとって、心眼を用いているらしい。
 どうやら推理が組み上ったらしい。
「誰が見ても犯人らしいのは芳男とお槙さ。藤兵衛を生かしておいちゃア、芳男は川木の相続をフイにしなくちゃアならないし、お槙は宿なしにならなくちゃアならない。殺してしまえば死人に口なし、思うような栄華ができようてえ寸法さ。深夜一時という時刻に、芳男が爪楊枝でカケガネを外して忍びこんだのは、新十郎が見ている通り、藤兵衛を殺そうてえ気持もあってのことだ。忍びこんでみると、藤兵衛はすでに何者かに殺されている。芳男はおどろいて逃げだしたというが、奴めは、お槙が殺したに相違ないと考えているだろうよ。お槙は悪い女だ。警察の調べがとどいて、お槙があげられる、心細いの一念、可愛い憎いで、芳男と一しょに殺《や》りました、と云いかねない女なのさ。芳男が怖れて戸惑って逃げまわったのは、その心配があってのことだ。しかし、お槙は犯人じゃアないぜ。女が酔っ払って男を一刺しに突き殺せるわけがねえや。惚れて油断のある男でも、女の腕で一刺してえのはむつかしいものだ。まして藤兵衛はお槙に三行り半をつきつけたその日のことだもの、酔ったお槙に刺し殺される不覚があるわけのものじゃアないのさ」
 海舟は片手の指から悪血をとると、今度は別の片手の指をチョイときって、悪血をとりはじめた。
「新十郎が見ている通り、藤兵衛の隣室にこぼれていたという土が曲者なのさ。犯人は、お槙が三行り半をつきつけられ、芳男が叔父甥の縁をきって勘当されるてえこと知っていた男だ。それを知っていたのは加助のほかにはいない。あの男がと世間ではビックリするだろうが、真犯人はままこうしたものさ。加助はヒマをだされて藤兵衛を恨んでいる。実直者だけに恨みが深いのさ。五ヶ月の貧乏ぐらしで、根性もひがんでいる。帰参がかなったのは嬉しいが、元へ戻ったところがタカが番頭じゃア仕様がない。貧乏をしてみると、魔がさして、よけい上をのぞむようになりがちなものさ。藤兵衛を殺してしまえば、犯人と疑られるのは三行り半をつきつけられたお槙と勘当された芳男の両名にきまっている。帰参がかなってヤレ嬉しやという加助が、疑われるわけはねえのさ。藤兵衛から放逐されるときまった修作が、藤兵衛なきのち、居すわるかどうかは分らないが、居すわるにしても、修作一人が番頭じゃア店のタバネができないから、世間に人望のある加助がむかえられて大番頭の地位につくのは火をみるよりも明かだ。アヤは胸に病いがあるから遠からず死ぬだろうし、川木の屋台骨は自然にそっくり加助のものになってしまう。世間に人望があるから、加助が主家をわが物顔にきりまわしても、誰も何とも云わねえのさ。加助はそこまで見ているぜ」
 海舟はナイフと砥石をしまいこんだ。
「加助はいったん主家を辞去すると、裏から塀をのりこえて、土蔵へ忍びこんだのさ。たぶんお槙と芳男の叱られている最中に忍びこんで隣室に隠れていたのだろうが、お槙と芳男が三行り半と勘当を云いわたさ
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