たのでございます。それで大そう悪酔いいたしたのかも知れません」
「当家を訪ねているあいだ、お前の姿を見た者は誰々だえ」
「おしのとお民の両名のほかには誰に会った覚えもございません」
 加助の意外千万な陳述によって、はからずも重大な殺人動機が確認されたわけであるが、それを更に裏づけるものは、芳男の昨夜来の失踪である。すでに刑事たちは芳男のひそんでいそうな小仙や小唄の師匠を洗ってきたが、そこへ立廻った形跡はなかった。
 新十郎は金次をよんで訊ねてみたが、彼ば居残り番で多忙なところへ、途中から芳男の姿が消えたので、彼が番頭役で立廻らねばならず、テンテコ舞いをしていて、店以外のところで何が起っていたかは皆目知らなかったという。いっしょに立働いていた彦太郎と千吉が、それを裏づける証言を行った。もっとも、十時すぎに豆奴が店へ現れて、小間物類を手にとって、いじり廻して、結局カンザシを買って帰ったという。もっとも、お金を払ったわけではない。金次のオゴリになるらしい話である。
 新十郎は一通り訊問を終えて、もう一度、現場を見て廻った。
「このカケガネには、結局、釘がさしこんでなかったんですね。どうも、そうらしい。すると、このカケガネを外からはずすのも、外からかけるのもワケはない。ハリガネを曲げたものかなんかで、戸の隙間から自由自在にかけも外しもできますよ」
 新十郎はそう呟いて、現場をこまかく探索した。戸をあけると、四間にしきられていて、藤兵衛の居間へ行くに四畳ぐらいの寄りツキがあり、その隣に納戸があって、ここには仏壇だのクスダマだの、いつ用いたのか知れないが、よそなら使って捨てるものを、雑然とほうりこんである。もう一部屋は藤兵衛が寝所に使っているらしく、押入れがないから、フトンをたたんで部屋の隅につみあげてある。そのほかには何もない。掃除は毎日ていねいにやると見えて、よく行き届いているが、納戸と寝室に、ところどころ土が落ちている。
「どうも、誰かが忍びこんだ様子だねえ。オヤ、ここにも土が落ちている。土足であがってきたのかなア。それとも、フトコロへ下駄を入れてきたのかねえ。どうしても、庭から離れへあがって、土蔵へはいった者がいるよ。さて、庭をしらべてみよう」
 新十郎はこういって庭へ下りたが、いろいろの跡があって、特に下駄や足跡を識別することはできない。土蔵の裏へまわると、曲りくねった細い路地で、表通りは縁日の雑沓でも、この路地の夜だけはまッくらヤミで人通りもないだろう。ちょうど都合よく塀の外にゴミ箱がある。そこへ上ると塀をなんなく越すことができそうだ。
 しかし女中をよんで、
「戸締りは、何時にかけたかえ」
 ときいてみると、
「水天宮の縁日の晩は夜ッぴて外がにぎわっていますし、店の人も夜遊びをゆるされておそくまで遊んでいますので、夜通し裏口には錠を下しません」
 という返事。これでは益々何者が忍びこむことも容易である。
 捜査を終って、いったん引きあげようというところへ、大そう景気のよい叫び声。
「犯人をひッとらえて来ました」
 刑事巡査がどやどやとなだれこんだ。彼らは、芳男を高手小手にいましめて、自分らのまんなかにはさんで、引ったててきた。
 芳男は品川駅で汽車を待っているところを捕えられたのだという。
「どうして犯人と分りましたか」
 こう新十郎が刑事にきくと、
「捕えて引ッたててきたばかりでまだ取調べは致しておりませんが、ごらんなさい。この男の着物の膝のところに血がついております。ほれ、タビの裏も、ごらんの通り、血がついていますよ。すぐ泥をはくにきまっています」
 なるほど、指摘されたところにハッキリ血がついている。
「なるほど分りました。だが、皆さんが、そうガヤガヤつめて睨まえていらッしゃると、芳男も返答がしにくいでしょうから、一人二人の方を残して、あとの方はちょッと退席して下さい。二三、芳男にきいてみたいことがありますから」
 そこで、二名の重立った人をのこして、一同は退席する。新十郎は芳男を側ちかく坐らせて、
「いいかえ。お前の昨夜したことを若干私からきかせてあげよう。お前とお槙は藤兵衛に土蔵へよびつけられて、二人の不義の事実をきめつけられたね。お槙がイエそんなことは嘘でございます、私をおとし入れようとする誰かが云いふらしたことでございます、と申したてたが、藤兵衛はその言葉には相手にならない。お前たちが一しょにねて、これこれのことをしたり語ったりしているのをきいているぞ、ときめつけられて、お槙はともかくお前は一言もなかったはずだ。特に藤兵衛はお前に向っては、アヤが病身のことであるから、ゆくゆくお前を後とりにしようと思っていたほどだが、とんだ不心得な奴、身からでた錆だと云ったろう。そこでお槙には三行り半を、お前には叔父甥の縁を切っ
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