いそうもないように見える。新十郎は見切りをつけて、いったん訊問をうちきった。

          ★

 まもなく鹿蔵が、加助を彼の自宅から、引ったててきた。
 加助は三十二三、これもちょッとした男ッぷりではあるが、いかにも実直そうな人物で、あんまり利発で愛想がよいという男ではなさそうだ。
 新十郎は加助をよびよせて、
「お前が当家へきたのは、いつごろだね」
「ハイ。この店がはじめて開店の当日からでございます。十二の年に丁稚にあがりまして以来二十年、この五月五日までひきつづいて御奉公いたして参りました」
 明治元年、開店の当日からというから、藤兵衛と苦難を共にして今日を築いた白鼠というわけである。
「お前がゆうべここへ来たのは、どうしたわけだえ」
「昨日行商にでまして夜分ようやく家へ戻って参りますと、家内が旦那からの手紙を受けとっておりまして、これは町飛脚が持参いたしたものだそうでございますが、この手紙を見次第、夜分おそくとも構わないから裏口から訪ねてくるように、今日は五日の水天宮の縁日だから、どんなに遅くなっても待っているから、という文面でありました。まだ八時半ごろで、急げば九時ごろには当家へ到着いたしますので、さッそく突ッ走って参ったのでございます」
「それで、どんな御用件だったえ」
 加助は嘆息して、
「実は道々旦那が非業の最後をとげられたという話を承りまして、旦那の御不運、又、私にとりまして一生の不運、まことにとりかえしのつかないことになったものだと嘆息いたすばかりでございます。かような折に、かようなことを申上げるのは、人様をおとし入れるようではばかりがありますが、旦那の御最期を思えば、胸にたたんでおくわけにも参りません。旦那の御用件と申しますのは、旦那は私の手をとられて、加助や、お前には気の毒な思いをかけたがカンニンしておくれ。メガネちがいであった。ついては、もう一度、当家へ戻って店のタバネをしてくれるように。悪い噂をきくものだから、この四五日とじこもって帳面をしらべてみると、お前が出てからというもの、仕入れない品物を仕入れたように書いてあったり、色々と不正があるのを見やぶることができた。これは芳男と修作がグルになってしていることだ。すでに修作は昨日よんで、いろいろ問いつめてみたが、奴も証拠があるから、嘘は云えない。一度は許そうと思ったが、あの若さであれだけの不正を働くようでは、とてもまッとうな番頭に返れるものではない。そこで、芳男も修作もおン出そうと思うから、明日の正午に店へ来てくれるように。朝のうちに追ンだす者を追ンだして、お前を番頭にむかえるからというお話でした。それで、正午に当家へ参上のつもりで支度いたしておりますと、迎えの方が見えられたわけでございます」
「なるほど。旦那が死んでは、せっかくお前が帰参のかなうところをフイになってしまって、大そう困るわけだ。ほかに話はなかったかえ」
「ハイ。実は、オカミサンと芳男の仲が世間で噂になっているが、お前はどう思うか。お前のいたころから、気のついたことはなかったか、というお尋ねがありました」
「それは大そうな質問だね」
「ハイ。それで私も困却いたしまして、そのような噂のあることはきいたことがありましたが、自分の目で見て気のついた特別なことは一ツもございません、と申上げますと、旦那は淋しい笑いをうかべなすって、実は、オレは自分の目でチャンと見届けているのだよ、とおッしゃいました」
「自分の目でチャンと見届けていると」
「左様です。深夜に便所へ立ったついでに、ふとオカミサンの部屋の前へきてみると、障子が薄目にあいているものですから、ボンボリをかざしてごらんになったそうです。すると中がモヌケのカラですから、さてはとお思いになりましてな。ボンボリをけして、そッと二階へ忍んでみると、芳男さんの部屋の中からまごう方なく二人のムツゴトをきいてしまったと申されました。お前が帰ってから、二人をよんで、お槙には三行り半を、芳男にも叔父甥の縁をきって、今夜かぎり追ンだしてしまうのだと申しておられました。そして私がお暇《いとま》を告げますときに、それではついでにおしのに云いつけて、お槙と芳男二人そろって土蔵へくるように伝えておくれと、おッしゃいました。その云いつけをおしのに伝えて、私は家へ戻りましてございます」
「まッすぐ家へ帰ったのだね」
「いいえ。実は、はからずも帰参がかないまして、あまりのうれしさに、縁日のことでもありますし、水天宮さまへ参拝いたし、ちょッと一パイのんで、久しぶりの酒ですから、大そう酩酊して、夜半に家へ戻りましてございます」
「酒をのんだ店は、どこだね」
「それが、貧乏ぐらしのことで、持ち合せが乏しいものですから、見世物の裏手の方にでている露店の一パイ屋でカン酒を傾け
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