たが、あとは気をつけていませんでした」
「そのほかに、変ったことはなかったかネ」
「変ったことと云えば、この四五日、旦那は土蔵からお出になりません。いつもは離れでオカミサンと食事をなさるのですが、この四五日は食事を土蔵へとりよせて一人で召しあがっていました。オトトイのことですが、私が夕御飯を土蔵へ持ってあがりますと、番頭さんがよびつけられて叱られていました。きいたのはホンの一言二言ですが、お前のような番頭では、この店がつぶれてしまうぞと、きついお言葉でしたよ」
 最初におしのを訊問したのは意外の成功であった。川木屋の内情について、ほぼリンカクをつかむことができたのである。
 番頭の修作が若すぎると思ったのも道理、加助という十年来の番頭が、クビになったばかりなのである。ここに曰くがありそうだということは、先ず察せられることであった。
 そこへ鹿蔵巡査がやってきて、
「刑事が見つけたのだそうですが、お槙の部屋のクズ入れから、こんなものが出てきたそうです」
 四ツに切りさいた半紙であった。合せて読んでみると、三行《みくだ》り半《はん》である。日附は十月五日とある。昨日である。お槙が酔っ払って、土蔵の中へあばれこんだというわけが、これで分ったようである。
 しかし、新十郎は、お槙の訊問を後まわしにして、
「古田さん。番頭の修作をつれてきて下さいませんか。それから、ヒマをもらった加助という前の番頭を、ここへ呼んでおいて下さい」
 と鹿蔵にたのんだ。まず外部をかためて、最後に中心をつこうという訊問の正攻法であろう。

          ★

 利発で愛想のよい美童に限って使用するという川木の流儀の通り、修作は、見るからにアカぬけた好男子、ニコニコといかにも人をそらさない明るい愛嬌がある。
 新十郎は彼をむかえ入れて、
「おまえが旦那を見かけなすった最後の時はいつごろだえ」
「私は昨晩は八時にヒマをもらいまして、遊びにでておりまして、旦那にはお会いしておりません。御承知でもございましょうが、昨日は五日、水天宮さまの縁日でございます。この日は夜ッぴてこの通りも混雑いたしますから、一日、五日、十五日の縁日に限って、当家は夜の十二時まで店をひらいております。ですが、店員全部居揃う必要もありませんので、五日の縁日には、私と正どんと文どんが夜の八時から休みをもらうことになっております。その代り、十五日の縁日には私どもが十二時まで働きまして、五日の居残り組が休みをもらうことになっております」
 水天宮の縁日といえば、虎の門の琴平とならんで、東京随一の人出である。今では盛り場も移り変っているから、今の人には分らないが、当時は東京で最大の人出が水天宮と琴平の縁日なのである。浅草観音の縁日も、当時は遠く水天宮に及ばなかった。
 この縁日の日は、朝の未明から深夜に至るまで、混雑きりもない。東京の人々はいうまでもなく、近郷近在十数里からワラジをはいてこの賑いを楽しみにくる農家の人々も数が知れない。水天宮から人形町の通りは、夜は一面の大ローソクあかあかと昼をあざむくばかり。見世物、露店、植木屋、ズラリならびつめて客をひく。
 人形町の商店がこの日に限って夜中まで営業するのは当然のことである。しかし、又、この賑いを目の前にして、全然遊びに出されないのも切ないから、半々にわけて、夜の八時から休みをもらうというのは大そう親切なやり方である。こんなところを見ると、藤兵衛は思いやりのある主人であるらしい。
「おまえは一晩縁日の賑いをたのしんでいたわけだね」
「いいえ。私はもう水天宮の縁日は十年もの馴れッこで、縁日なんぞ、そうブラつきは致しません。この一日から十五日まで、寄席の金本に、円朝がかかっております。西洋人情噺、十五日の連続ものでございます。今月の金本は前代未聞の大興行と申すのでしょう。円朝、円生、円遊、円右、馬車の円太郎、ヘラヘラ万橘、金潮、新潮の落語、手品が、西洋手品天下一品の帰天斎正一に女テジナの蝶之助、水芸の中村一徳、鶴枝の生人形、そこへ新内が銀朝ときてます。ほかに女清元の橘之助、女新内の若辰などと、一流どころの真打をズラリとそろえた番組、こんな大それた番組は二度と再びあることではございません。なんでも、秋葉原へかかっている茶リネの西洋曲馬団が大そうな人気だそうで、それに負けない人気番組を特に興行しているらしゅうございますよ」
 茶リネの西洋曲馬というのは伊太利《イタリー》人チャリネのひきゆる二十数名の外人一座、八月に来朝し、秋葉原に興行して、東京中をわかせるような大評判をとっているのである。
 愛想のよい修作はニコニコとおシャべりをつづける。
「私は今月の金本には初日から通いつめております。名人ぞろいのこととて、一々が面白うございますが、特に円朝の西洋人情
前へ 次へ
全13ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング