倒れる五兵衛に走り寄って抱きとめたのは、離れていた故、刺したのは自分でないぞと見せる下心。まんまと化かしおおせたツモリだが、奴め、このときシッポをだしております。ふらつき倒れる五兵衛を見ていたのは田所ひとり、人のうった手裏剣ならば奴めが見逃すはずはございません」
海舟は煙草盆の下のヒキダシからナイフをとりだした。砥石をひきよせ、水にしめしてナイフをとぎはじめた。砥石とナイフは彼の座右の必需品。自分で指や頭のあたりを斬って、悪血をとるのである。
「田所を犯人と見た目に狂いがあるとは、まことに心外千万ですが、彼の近隣知友について調査いたしましたところ、彼は幼より成人に至るまで女子にも劣る柔弱者で、武術はおろか、拳法すらもたしなんだことがございません。まことに困ったことに相成りました」
これが嘆きの種である。煩悶、又、煩悶。海舟はとぐ手をやすめて、
「神田正彦が虚無僧だッけな?」
「ハ、左様で。しかし、神田は遠い壁際にたたずんでおりまして、フランケンと同国の大使館員と同席、会話いたしておりました」
「そうだろうよ」
海舟はゆっくりとぎ終ると、ナイフを逆手に、後ろ頭をチョイときって、懐紙
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