とんでもない。駈けつけたのは、まア、四分の一ぐらいでしょうか。四分の三は自分の場所を動きません。ただ、何事ならんとお梨江嬢の倒れた方を見ておったのです」
「あなたは加納さんの倒れるところを見ましたか」
「まことに、おはずかしいが、オイドンはお梨江嬢の方に気をとられて、犯人と犯行の瞬間を目撃いたしておりません。両名で担っておった山カゴがグラグラと前へゆれて傾きおるから、ふと見ると、五兵衛どんが胸か腹をおさえて、前へトントンとのめるように倒れるところでした。あの人は剛気ですから、その瞬間になっても、山カゴを担った片手は放しません。そのとき、五兵衛どんのフシギな様子に気づいて、横っとびに駈けよりざま、ちょうど倒れた五兵衛どんを抱きとめようとした虚無僧がありました。両手でだきとめよったから、手にした尺八が音をたてて落ちましたな。後にアミ笠をとりよったのを見ると、この虚無僧は油絵描きの田所金次ですわ。今夕の仮装者には、もう一人虚無僧がおりましてな。これは政商、神田正彦でありました」
「すると、それまで、被害者に接近した人はなかったのですか」
「その四五分前に総理大臣が五兵衛どんのところへこられま
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