である。
 お梨江はその朝アツ子の部屋へよばれた。アツ子は朝寝で、午《ひる》すぎて目をさまし、みんなと一しょに食事したこともないし、亭主五兵衛の御出勤を見送ったこともない。
「あなたは、今夜の舞踏会で、どんな仮装なさいますか」
 お梨江は継母にこう問いつめられて、
「私、仮装なんか、しないわ」
「じゃア、マスクなさるのね」
「いいえ。マスクはきらい。舞踏会もきらいなのよ。だから、今夜はお友だちと乗馬のお稽古にでかけますのよ」
 アラレもないことを云う。アツ子は大名の娘だから、威あって、猛く、たちまちお手打にするようにツンととんがって、鉛色の目玉に妖気がこもった。
「あなたの仮装はここに用意してございます。あなたは沐浴《もくよく》のヴィーナスに仮装あそばせ。泰西名画の画中人物です。満太郎さまが御帰朝の折テラコッタの壺をお持ち帰りでしたから、モスソをたらし、壺を抱えて、たのしい沐浴の場所をさがして川辺を歩くかに、さも軽くお歩きあそばせ。そして」
 ここでアツ子はお梨江を刺殺するように見つめて、
「チャメロスさまがあなたのお手をおとりでしたら――チャメロスさまは回教徒のサルタンに仮装あそばし
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