「仰有る通りです」
「虚無僧には、きっと秘密があるものですわ。昔からそうなんですッて。その秘密をお探しなさるといゝわ。下男の弥吉じいやに、おききあそばせ」
 そう言いすてると、お梨江は、自分の言葉にあわてた様子で、電光石火、逃げてしまった。
「あの方が、気絶した令嬢ですか。壺の中の蛇にねえ。気絶ですか」
 新十郎は、つまらぬことを呟きながら考えこんだ。ふと気がついたらしく、
「兄の満太郎さんも、何かいいたげの様子でしたよ。あの兄妹はなにか訴えたいことがあるんですねえ。とにかく、弥吉じいやをよんでみましょう」
 弥吉は六十に手のとどく、当家で最古参の使用人であった。病死したお梨江の実母には赤誠をもって仕えた忠僕であった。
「じいさん。ご苦労さまだね。こまったことになったなア。お前も心痛のことだろうよ。ところで、お嬢さんがお前に訊いてくれといって、大そう慌てた様子で逃げて行かれたんだが、田所さんという洋行帰りの油絵師に、どんな秘密があるのだえ?」
 弥吉は新十郎を見つめていたが、
「お梨江嬢さまが私にきけと仰有ったのですね?」
「そうだよ。ハッキリ、そう仰有ったよ」
 弥吉はゆっくり、うなずいて、鋭く新十郎を凝視した。
「では申上げます。田所さまは当家の奥様の情夫でございますよ。昨日今日の仲ではござらん。田所さまの洋行前から、そのようでありました。一子良介様も、どなたの種やら、神仏が御存知でござろう」
 弥吉の目は火のような怒りにもえた。そしてキッパリ云いきると、一礼してさっさと行ってしまった。
 一同はタメイキをついた。
 星玄坊主、耳の穴をグリグリ清掃して、
「イヤなことを、きくなア。こげん時には、耳がないといいと思う。ワア、つらい!」
 気の弱い警視総監があるものだ。
 帰りかけていた新十郎は、なにを思いだしたか、再び女中たちの部屋へ戻って、お絹をよびだした。五兵衛が裏門から戻ってきて、飯を三膳かッこんで、雲助に扮装して出て行くまでの順を、その場所について一々辿っていった。
「御主人は酒をおのみにならないのかね」
「いゝえ。大そう豪酒でいらッしゃいます」
「宴会前に茶漬三膳は妙だねえ。せっかくの美酒がまずいだろうに」
「いゝえ。御前様には一風変った習慣がおありでした。重大な御宴会には御飯を召上っておでかけでした。深酔いをさけるためでございます」
「なるほどねえ。一流の人物は心構えがちがっているね」
 新十郎が感服してうなずくと、お絹は自分がほめられたようにポッとあからんでしまった。美男子というものは得なものだ。
「今晩はどんなものを召上ったね?」
「蒲焼やおサシミや鮎や洋食の御料理や、いろいろと用意してございましたが、急いでお茶漬を召上るときは、梅干を六ツ七ツ召上るだけでございます。梅干がお好きで、御前様の梅干は小田原の農家の古漬を特にギンミして取寄せております」
 五兵衛の食膳へのせる梅干の壺は明《みん》の高価な焼物だということであった。大きなツブの揃った何十年も経たかと思われる梅干がまだ六ツ残っていた。
 調べを終って、門をでると、虎之介は喜びふくれる胸の思いに居たたまらぬらしく、花廼屋をこづいて、新十郎の後姿を目顔でさしながら、
「アッハッハ。ムダな方角を見ているんだねえ。アッハッハッハ。見ちゃアいられねえなア。オレは、ちょッと、失敬しますよ。ハッハッハッハ」
「みッともないねえ。なんてダラシのない笑い顔をする人だろう。馬がアゴを外したような顔をする人だ。お前さんの方角が見当ちがいにきまってらア。ムダ骨を折りたがる人だ」
「アッハッハッハッハッハッ」
 虎之介は笑い茸《だけ》を食ったようにダラシなく相好をくずして、
「お先きに失礼。ハッハッハッハ」
 喜びいさんで、どこかへ走っていった。
 新十郎は鹿蔵に、
「烏森の夕月へいって、加納さんが誰に会うはずであったか、きゝただして下さい。それから、これは、ちょッと難題ですが、加納夫人の素行を総ざらいに洗っていただきたいのです」
 これをきくと花廼屋はよろこんで、
「それ、それ。大先生の心眼がズバリそこを指すだろうと見ておりました。虎公は田所と睨んでいるのさ。ヤブ睨みだね。あの人の智慧は、失礼だが、浅い。私はね、チャンと見ていました。あすこをね」
 新十郎はふきだしたいのをこらえて、
「あすこッて、どこですか」
「ねえ。ほら、あすこんとこさ。先生の心眼がズバリさしたところさね」
「私の指したところッて、どこでしょうか」
「ヤだなア、この人は。あなた、さしたでしょう。加納夫人の素行のとこさ。ね。フランケンですよ。犯人はこれだ。私もね。手裏剣にしちゃア傷が深い、おかしいなア、と思ったんだが、西洋の手裏剣たア知らなかったね。こいつア、術がちがいます。フランケンは大そう好男子だが、
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