場所から遠くはなれている。探偵たちの注意は一様に、虚無僧姿の神田正彦をさがしもとめたが、これも五兵衛と遠く離れた壁際にピッタリ寄り添っているのであった。
花廼屋はいぶかしそうに星玄にきいた。
「加納さんが倒れる前後に、この近ぺんにいた虚無僧は田所さん一人でしたか」
「左様。その瞬間にこの近くにいた虚無僧は一人だけのようです」
五兵衛の家族たちもいい合したように、遠く彼から離れていた。アツ子はフランケンと組んで、楽隊席の下のあたりを踊りつゝあった。そこは手裏剣のとんできた方角だが、五兵衛の倒れた場所から四間ぐらい離れていた。虚無僧の田所は、その中間に、最も五兵衛に接近して位置していた。彼は尺八をふいて歩いている最中であった。
反対側の最も近い場所にいたのが、満太郎である。現場から二間ぐらいの所をちょうど通りかゝっていた。
「卒倒なさった御令妹の方へ行こうとなさったのですね」
と新十郎がたずねると、
「いゝえ、ただなんとなくこッちへ歩いてくる途中でした。私は人々のさわぐ様子で何かが起ったと知りましたが、妹が倒れたとは知りませんでした」
「あなたは倒れるお父上の姿をごらんになりましたか」
「倒れる瞬間には見ておりません。倒れた後に、虚無僧姿の田所さんに抱かれて後の姿を見ましたが」
満太郎は自分よりもちょッと年配にすぎない名探偵に信頼をよせているようだった。彼の目はジッと新十郎にそゝがれて、今にも何か言いたげであったが、フッと目をそらしてしまった。
来会者は訊問されることもなく、すぐ解散を許された。
残ったのは、総監と、特に居残りを命じられた楽士であった。
「あなた方は一段高い席におられたのですが、犯行を目撃された方はおりませんか」
答える者がなかった。新十郎はうなずいて、
「犯人は煙のように人を殺しているようですね。しかし、被害者の倒れる瞬間を目撃された方はいるでしょうね」
五兵衛がヨロけて泳ぎだしてから、やがて横っとびに虚無僧が抱きかゝえるまで見ていた者が三名いた。
「被害者が泳ぐ様子をごらんになったとき、何をしていると思いましたか」
「左様。泳ぐというよりは、前の方へうつむきがちに、しゃがみこむように見えましたな」
と一人が答えた。他の一人もそれに和して、
「そう。そう。私も、そう見たね。おや、あの雲助はしゃがむんだナ、というようにね。それだけのことだ。別に死の前のどうこういう様子に見えたわけじゃアない」
「しかし、しやがみながら、胸をかきむしったなア。こう、何か胸にだきしめるような様子だった」
「胸に? 腹じゃアないのですか」
「イヤ。つまり、何かだくような様子です。だくといったって、ハダカだから、だいてるわけじゃアないなア。つまり、胸をこう、こすったのかな。私はハッキリ見ました。つまり、あれは死の苦しみというのかなア」
彼らの目撃していたことは、それだけであった。
新十郎は楽士を帰して、女中、下男、書生ら、二十数名をよびあつめた。そして、何か変ったことに気附かなかったかと尋ねたが、お絹という若い女中が、おそく戻ってきた五兵衛の謎のような呟きを記憶していたほかに変異を見ている者はいない。
お絹は顔をあからめながら、
「ハッキリ覚えてはおりませんが、幽霊にだまされた、……」
お絹は自分の言葉に笑いだして、
「ですが、ほんとに、そう仰有《おっしゃ》ったのです。そして、まさか、アレが生きてやすまい、なんて仰有ったようです」
「戻られたのは、何時ごろですか」
「会場の皆様が大分おあつまりになって後のことでした。いそいで御飯を三膳、お茶づけで召しあがって――お急ぎのときは、いつもそんなです。一二分で、かッこむように召しあがるのです。そして雲助に扮装あそばしてお出になる、三十分もたつかたたぬに、あの御有様でした」
新十郎は車夫をよんだ。
「御主人はおそく戻られたそうだが、どこへお連れしたのだえ?」
「烏森の夕月でした。何御用かは存じ上げません。ただ、お帰りのときに、まさか人のイタズラとは思われないが、生きているなら、どうして来ないのだろう。来ないワケはないがなア、と仰有っていました。夕月の女将に、誰それが見えたら、使いをよこすように、と仰有ってたようです」
訊問をうちきって、一行が帰りかけると、広間の階段の陰から現れた花のような娘があった。娘はツカツカと一行の前へすすみでて大胆に新十郎を見つめて、
「あなたが、大探偵?」
新十郎はまぶしそうに笑った。
「犯人は分りましたか?」
娘はたたみこんだ。
「残念ながら、手のつけようがありません」
新十郎が神妙に答えると、娘の目はもえるように閃いた。
「私、気絶していましたから、お父さまの死になさるのを見ておりませんが、虚無僧姿の田所様が介抱なさったそうですね」
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