ように裏門から戻ってきて、
「イヤハヤ、幽霊に化かされた。アイツが生きている筈はないからな」
汗をふきふき、謎のようなことを呟いたが、大急ぎに飯を三杯くって、箱根の雲助に扮装して、舞踏会場へかけこんだ。雲助だから汗をかいて駈けつける、真にせまった名演技と云いたいが、当人はそれどころじゃない。
というのは、来客にも失礼だが、相棒に大失礼というわけだ。即ち、警視総監の速水星玄という大坊主が雲助の相棒で、山カゴをかたえにひかえて五兵衛の来場を今か今かと待っているのだ。この大坊主はノンダクレで、カンシャクもちで、礼儀知らずで、泥棒をふんじばるには持ってこいだが、国際的な社交場へつれてくると必ず国威を失墜するという念入りの男。そのくせ当人は社交場へでるのが好きで仕様がない。お前、社交界へでちゃイカンといわれるのが何より辛くて、悶死しそうな煩悶ぶりを見せるから、仕方なしに招くのである。
五兵衛が駈けつけると、星玄は正式の戸口にいないで、給仕女が料理を運ぶ戸口の陰にカゴをおいて、通行する給仕女をよびとめては、酒肴をまきあげて、よいキゲンになっている。五兵衛を見ると、
「ヨ。きた。きた。お前、先棒をかつげ。オレは後棒だ。野郎を乗っけちゃいけないぜ。美人、美人。ナ。野郎をのッけると、放りだすから、そう思え」
大変な警視総監があったもの。
ハラショーと、大坊主のカケ声もろとも、二人は山カゴをかついで、舞踏会場へ躍りこんだ。
総理大臣善鬼はヨロイ、カブトに身をかため、軍配を片手に、ひどく落着いた扮装であるが、実はチャメロスの方を見てはハラハラ、いったいお梨江嬢は何をしているのだろう、いつ現れるのだろうと、居ても立ってもいられぬぐらい気をもんでいる。
チャメロスも内々イライラしているらしいが、それを見てとって、まるでからかうかのように彼の側から離れずさッきから話しかけているのは、神官に扮装した典六である。
フランケンはと見ると、これはマスクをかけただけ。そして、同様マスクだけのアツ子とくんで踊っている。神田正彦も来ているはずだが、何者に扮装しているのか、彼の姿は見つけることができない。
善鬼はたまりかねて、雲助の五兵衛をよびとめて、
「お梨江嬢はどうした。いまだに姿が見えんじゃないか」
「ハ? イヤ。すでに来ているはずですが、見こぼしておられるのではありませんか」
「バカな。オレは三十分も前から目を皿にして見ているのだぞ。ヤ。あんた、加減がわるいのか?」
五兵衛の額に脂汗がういている。息づかいが荒い。しかし五兵衛はちょッと笑って、
「いえ、カゴをかついで走りすぎたせいです。お梨江のことは、さっそく、手配いたしましょう」
彼はフランケンと踊っているアツ子のところへききに行ったが、戻ってきて、
「じき現れるそうです」
「そうか。それで安心した」
善鬼もよろこんで自分の席へ戻った。
お梨江が現れたのは、ちょうど、その時であった。彼女はアツ子の命じたように、沐浴のヴィーナスに扮装し、壺をかかえて現れた。にこやかに、落ちついて、あたりを見廻しながら、チャメロスの方へ歩をはこぶ。チャメロスに三歩ぐらいに近づいたとき、ふと腕にさわるものがあるのに気がついて、壺をかかえた左腕を見やった。
「アッ!」
からだを真二つにたち斬られたような、小さな、鋭い悲鳴が、お梨江の口から発した。お梨江が見たのは蛇であった。壺の中から這いだしてお梨江の腕にまきついているのだ。
お梨江はバッタリ壺を落して、割れた壺の上へ自身もフラフラと倒れてしまった。
人々はドッとお梨江の方へ駈けつけた。チャメロスはお梨江をだき起した。人々は蛇を踏み殺した。そして口々に罵りさわいだ。しかし、そのとき、
「オ、オーイ。医者! 医者をよんでくれ!」
大きな胴間声が起ったのは、お梨江をとりまいた人群れから遠く離れた一角であった。
人々がそッちをふりむいてみると、大坊主の雲助が山カゴをおッぽりだしてウロウロしているのだ。黒衣の虚無僧が、尺八を放して、もう一人の雲助をだき起している。
加納五兵衛が殺されたのである。警視総監の目の前で。
大坊主の星玄が、ともかく警視総監の職分を忘れなかったのは結構であった。
「みなさん。お静かに! お静かに!」
なに、一番あわてふためいて騒いでいるのは、お前じゃないか。しかし、星玄は一人で大井川の流れをせきとめているような大そうな手つきをして、
「暫時、そのまま! そのまま! ゆゆしき犯罪が起りましたぞ。暫時そのまま、御セイシュクにお願い致します。医者と探偵が参るまで、この場をうごいては、いけませんぞ」
加納邸が牛込矢来町にあったのは不幸中の幸というものだ。星玄坊主の頼みの綱といえば、紳士探偵、結城新十郎をおいて外にはない。紳士探偵は神楽
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