坂に住んでいるのである。
 星玄は加納邸の警備に当っていた巡査の中から、古田鹿蔵という老巡査がいるのを知ると、大よろこび、
「お前がいたのは何よりだ。一ッ走り、神楽坂の新十郎どんをつれてこい。それ、急げ。もっと走れないか。ノロマのモウロクたかり」
 そこで鹿蔵は一生ケンメイ走った。彼は元々結城新十郎附きの巡査なのだ。新十郎に用があると、駈けつけるのが役目であった。
 新十郎は旗本の末孫、幕末の徳川家重臣の一人を父にもったハイカラ男。洋行帰りの新知識で、話の泉の五人分合せたよりも物識りだ。それに鋭敏深処に徹する大々的な心眼を具えている。
 彼の右隣りに住んでいるのが、泉山虎之介であった。虎之介は町道場をひらいているが、警視庁の雇いで、巡査に剣術を教えるのが商売の一つである。
 虎之介は馬鹿の一念、凝り性であるが、特別探偵に凝っている。心眼をこらしてジッと考えこむのが愉しくて仕様がないという因果な男だ。そこで犯罪ときくと、商売をおッぽりだして現場へ駈けつける。弟子の巡査どもをおしのけて、一番前へでると、先ず深呼吸、ヘソの下に力を入れてツブサに観察し、静かに心眼を用いる。しかし彼の心眼はヤブニラミと色盲を合せていた。
 わが家へ帰ると、近隣をあつめて見てきた事件を披露して、心眼のハタラキを説いてきかせる。これが彼の人生最高のよろこびだ。ところが新十郎が洋行から帰ってからというもの、彼の心眼に異説をたてて、ピタリと真犯人をあててしまう。虎之介は残念だが、心服せざるを得ない。推理の見事なこと、人の見のがす急所をついて、どのように奸智にたけた犯人も新十郎の心眼をだますことができないのである。そんなキッカケから、新十郎は虎之介の案内で現場へでかけるようになり、いくつかの難事件を手もなく解決して有名になった。
 西洋博士、日本美男子、紳士探偵、結城新十郎の名は津々浦々になりひびき、新聞の人気投票日本一、警視庁は、探偵長に迎えたいと頼んできたが、キュウクツな務めは大キライとあって、オコトワリに及んだが、しかし彼も好きな道、雇いという軽い肩書で、大事件の通報一下、出馬して神業の心眼をはたらかすことになっている。この通報に駈けつけて案内に立つ係りが古田鹿蔵老巡査である。
 ところが、新十郎の左隣りの住人を、花廼屋因果と云って、ちょッと名の知れた戯作者だ。戯作者などというものは、主として江戸大阪生れの人間がやるものだが、花廼屋は薩摩ッポウで、鳥羽伏見の戦争ではワラジをはいて、大刀をふり廻して、ソレ、駈けこめ、駈けこめ、と、上野寛永寺まで駈けこんできた鉄砲組の小隊長であった。
 どういう因果か、この男は小説が好きだ。おまけに、都会の風が身にしみてゾッコン好きであるから、御一新になると同僚はみんな官途について、肩で風をきる中で、この男は志を立て、さる戯作者の門に弟子入りして、大いに道を習い覚えて、小説をものしたところ、外道の世の中、見当外れの通ぶりが意外の功を奏して、バカにされされ、もてはやされてしまったのである。田舎通人、神仏混合、花廼屋因果といえば、人力車夫や女中などには粋人中の粋人とありがたがられて、身にあまる人気を博するに至った。
 この男がまた虎之介に輪をかけて凝り屋のところへ、特に探偵のことには凝りに凝っている。古田巡査の靴の音をチャンと覚えていて、この足音が新十郎の門をくぐると、すばやく身支度をととのえて、新十郎のでてくるのを門前に待ちかまえていて、
「さ。では、参りましょう」
 とか、懐中時計をチョッとにらんで、
「ウム。こりゃア、急がにゃなるまいて」
 なぞと、頼まれて案内にきたようなことをいって、ズンズンついて行くのである。
 三人がでかけるころに気がつくのが虎之介で、あわてて帯をしめなおしながら、
「オイ。待て! 待たんか! 卑怯もの。ウヌ」
 ホウ歯の書生下駄をつッかけて追っかけてくる。新十郎は花の巴里《パリ》でつくらせた洋服に細身のステッキ。花廼屋も当節の通家であるから、リュウとした洋服にハットをかぶり、ステッキを手に、いつも水府の巻タバコをくわえている。
 鹿蔵の注進によって勢揃いした三人は矢来町の加納邸へとやってきた。
 星玄は門前まで出迎えて、新十郎に堅く握手して、
「日本ひろしといえども、オハンあるのみ。たのみますタイ」
 心痛のあまり、国の言葉で、挨拶する。彼の目には、事のあまりの重大さが、焼きついていて、居たたまれぬほど胸がせまってくるのであった。
「何事が起りましたか」
 星玄は事件を説明して、
「かようなわけで、まことに心外ながら五兵衛どんはオイドンの目の前で死んでしもうたのです」
 新十郎はやさしい目で彼をいたわって、
「ほかの人々はお梨江嬢の倒れた方へ駈け去って、残っていたのは、あなた方雲助組だけですね」

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