ておきたい、夕方、夕月へ参りますから、とこういう話であったそうです。加納さんは半信半疑で、中園はたしかに用務を帯びてシナへ行く途中ではあったが、玄海灘で船が沈んで、助かったとは思われないが、フシギなことだと話しておられたそうであります」
 新十郎はうなずいて、
「なるほど、たぶん、そんなことだろうと思ってはいました。そして中園は夕月へ現れましたか?」
「いいえ、今もって現れておりません」
「そうでしょうなア。そして、たぶんいつまでたっても現れはしますまい。それから?」
「夕月のぶんはそれだけですが、アツ子の素行につきましては、まことに難題で、田所のほかには、なかなか正体がつかめません。しかし、だいたい素行については悪評がありまして、フランケンとは近ごろ特にネンゴロだということを噂している者はございます。散々歩いて、つきとめたのは、ようやく、それだけで……」
 新十郎はニッコリ笑って、
「いつもながら、あなたには感謝しますよ。正確無類に私の足の代りをつとめて下さるからです。おかげで私は西洋将棋をたのしむことができますよ。私が自分で歩いたって、あなた以上にききだすことはできますまい。では、そろそろ出発いたしましょうか」
 虎之介は有項天によろこんで、口もとから自然にほころびる笑みを抑えるから、
「オヤ。どちらへ?」
「加納家へ参りますよ」
 とうとう我慢ができなくて、虎之介はゲタゲタ笑いたてて、
「オヤ、あんなところへ、何御用で?」
「さては泉山さんは犯人を見つけましたね。おはずかしいが、おそまきながら、私はこれから犯人を突きとめに出かけるのですよ」
 こう愛想よく新十郎におだてられると、虎之介はもう我慢ができない。柱によりかかって、背中をねじくりながら、ゲラゲラ、ゴロゴロと喉の中をスポンジボールがころがるような奇怪な音を発してとめどなく笑いくずれている。新十郎は晏吾に命じて、
「お前は風巻先生を御案内して、後から加納家へ来るように。先生は待ちかねて、いらッしゃるだろうよ」
 こう云い残して、四人はつれだって、加納家を訪ねた。速水星玄は今日はチャンと警視総監の制服をきて、部下をひきつれて、新十郎の到着を物々しく待ちかまえていた。制服をきせた姿は、国威を失墜したことなどはトンとなかったようにりりしく見える。新十郎を見ると、進みでて握手して、
「杖とも柱とも頼み申しておりま
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