無毛談
――横山泰三にさゝぐ――
坂口安吾
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)仰有《おっしゃ》る
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)チャラ/\
−−
私のところには二人ねるだけのフトンしかないのである。だから、お客様を一人しかとめられない。
先日、酔っ払って、このことを忘れて、横山隆一、泰三の御兄弟を深夜の拙宅へ案内した。気がついた時は、もう、おそい。もっとも、兄弟だから、いゝようなものだ。第一、こんなにバカバカしく仲のよい兄弟というものは天下無類で、それに二人合せたって一人前ぐらいの容積しかないのだから、よかろうというものだ。
カゼをひかせちゃ、こまるから、コタツをいれようと云うと、ダメなんだ、弟の奴、子供の時から寝相がわるく、なんでも蹴とばすから、火事になる、と兄貴が仰有《おっしゃ》る。
御兄弟、上衣をぬいで、ワイシャツをぬぐ。すると、ちゃんと、パジャマをきていらっしゃる。シキイをまたげば、いつ、どこへ泊るか分らないから、タシナミ、敬服すべきものがあった。
御兄弟、ベレをかぶっていらっしゃる。さて、おやすみという時にも、そろってベレをおとりにならぬ。これもタシナミの存するところで、御兄弟、若年にして、毛が薄い。
この心境は、悲痛である。私もよく分るのだ。なぜなら、私も亦、若年にして、毛が薄かった。
横山兄弟のは額からハゲあがっている。この方はハゲ型としては上乗の方で、いくらか瞑想的情緒すらあるのだけれども、本人の目に見える弱点があり、漫画家の観察眼には、自尊心の許さぬところがあるのかも知れない。
私のハゲは脳天、マンナカから薄く徐々に円形をひろげるという見た目にカンバシカラヌ最下級品であるけれども、本人の目には見えないという強味がある。
私のハゲが発見されたのは、三十四か五ぐらいの時で、たしか大井広介がどこかの飲み屋で飲んでる最中見つけたように記憶している。このとき、私が怒髪天をついて、バカ言え、ハゲてるもんか、と云って怒った。それで後日まで笑い話になったけれども、これは怒るのが当り前というものだ。
私もちかごろは老眼の兆あらわれ、夜になると視覚が狂い、直視すると目が痛い。こうなると、そろそろ頭の方もハゲるかも知れないな、というような覚悟もつくに相違なく、ハゲを発見されたって、あゝそうかと思うぐらいのところであろうが、三十四五の年齢というものは、自分とハゲを結びつけて考えるようなものじゃない。君はハゲたね、などゝ云われゝば、バカ云え、と怒るにきまっているのである。
もう、ちかごろはハゲてもいゝような年であるから、気にかゝらなくなったけれども、あのころはサンタンたるものであった。
若年にしてハゲると、オヤ、ハゲましたネ、と誰しも一度は言うものである。百人の知人があれば、百ぺん言われるもので、もう、バカ云え、とは言うわけに行かない。非常に卑屈になるもので、ニヤニヤするのもミジメであるし、ウム、ハゲタ、見事にハゲました、と云って肩をそびやかすのは、なお悲しい。要するに、どんな応対の仕様もない。どうやってみてもミジメで哀れであるから、いっそ怒るのが一番立派のようであるが、ハゲましたネ、と云われたるカドにより怒って絶交するというのも、あさましい話である。
男の方はまだいゝのだが、アラ、おハゲになってるわネ、などゝ女の子に言われるのは、五臓六腑に、ひゞく。だから、女の子のいる飲み屋へ行くと、
「キミ、キミ、僕はもうハゲました。ホラ、この通り」
挨拶の代りに頭をだしてみせる。アラ、ホント、ずいぶんハゲたのね。ウム、ハゲちゃった、アハハハハ、などゝバカみたい。これを逆に女の方からやられると、ベソをかきそうな顔になる始末であるから、仕方がない。無事関門を通過して、ホッとしながら酒を飲みだす段どりとなる。
もう、ちかごろはハゲぐらいの問題じゃなく、もう、お年ねえ、などゝ決定的なことを言われるようになったから、ハゲもなんでもなくなってしまった。
はじめてハゲを見つけられた時は、合せ鏡などをして、自分のハゲをしらべてみたことも一度はあったが、まったく醜悪なものであるから、二度と再び見参に及んだことはなく、今ではどれぐらいのハゲになったか、もっぱら人まかせにしておくのである。
泰三画伯は近々御結婚あそばす筈で、新婚記念に名古屋医大へハゲ退治に出向く由、三十二歳ともあれば、ムリもない。
皮肉なもので、若い時には、ハゲましたのねえ、と頻りにやられたが、今ぐらいになると、もう誰もハゲのことなど言わない。私よりもズッとお年寄の方々が私を同類扱いするようになって、尾崎士郎先生などが、
「君、まだ、歯はぬけないかい?」
「歯がぬける?」
「ウン、そろそろ、ぬけるぜ。あんときは、いゝ医者へ行かなくっちゃアいけないよ。治療が長びいてネ。入れ歯をすると、餅にくッついて、いけないネエ。年だなア。君も、そろそろ、はじまるころだ」
私といくつも違わない年下の方が、こっちの方は、かたくなに私の方を同類から締めだす。同人雑誌の会などへ出ると、
「どうぞ。お年寄、こちら。床の間へ」
「おい、ふざけるな。君と、いくつ、違うんだ」
「いえ、わかってます。そんなに気になるもんですか。ふうむ」
と、急に敬語などを使って、区別を立てゝみせる。卑怯である。三十九のくせに、三十代。バカ云え。なにも十で区切らなければならないという規則はない。二十五から三十五、四十五。
「アハハ。そんなのないよ」
なにが、ないことがあるものか。なんでも、ある。彼等はバカである。論理性がないのである。二十五で区切る。二十五から五十まで。みろ、みんな、一しょじゃないか。
然し、先日、街で三人の知りあいのパンパン嬢にあい、ゴハンたべさして、と云うので、食堂へ行く。パンパン嬢、お礼の寸志か、私の髪をくしけずってくれる。半年以上も床屋へ行かず、自分でハサミできってるという頭で、クシなど使うタメシのない頭だから、かんべんしてくれ、と云っても、嘘だと思ってとりあわない。三人で私の頭をオモチャにして、そして口うるさいガサツ娘が、三人ながら、ハゲのハの字も言わなかった。ハゲているのが当然というお見立てによるのであろうが、これは、深刻なものである。
名古屋医大へハゲ退治にでかけるという泰三画伯は、つまり、人生がまだ花であるというシルシであろう。オヤ、ハゲましたね、などゝ言われるうちは花なのである。毛が生えなくとも、悲しむべからず。
★
むかし、私の家にいた女中の話である。名はなんと云ったか、忘れたが、トン子さんとよんでおこう。二十一である。
何日何時、上野駅へつくというから、私が出迎えに行った。郷里の方から送ってよこすのだから、先方もこっちも身元がハッキリしているから、親などはついてこない。然し、顔を知らないから、目印を持たせてよこす。たいがい季節の花などを胸につけたりしてくるのを、私が改札にガンバッていて、見破って、つれてくるのである。
トン子さんの時は、たぶん冬で花がなかったのかも知れない。日の丸の旗を目印に持たせてよこすという通知であった。
日の丸をふってでてくる田舎娘にモシモシなどゝ言い寄るのはキマリが悪いから、私も迷惑していたが、先方は私以上に迷惑であったらしく、日の丸をクルクル棒にまいて、帯の間へ押しこんで、たった一寸ばかりフトコロから顔をだしているばかりであるから、危く見逃すところであった。
通りすぎるのを、追っかけて、フトコロの品物を見定めて、モシモシ、トン子さんですか、ときく、シャクレた顔をツンとソッポをむけて、そうだという意味を表現した。
私は前後四五人の女中を、こうして駅頭へ迎えたけれども、私がそれと目印を見破ってモシモシと話しかけると、ハイ、そうです、などゝ返事をする娘のいたタメシがない。うなずいたり、うなだれたり、するだけだ。それに、みんな言い合したように、待つ人のいることなど念頭にないように、ワキメもふらず、スタスタ歩いて改札を出て行くのである。トン子さんもワキメもふらずスタスタ通りすぎて行ったが、ツンとソッポをむいて、そうだという意味を表現したのは、この御一方だけであった。
日の丸をキリキリまいて、フトコロへ押しこんで、一寸だけのぞかせたタシナミと云い、ソッポをむいた気合いと云い、たゞの田舎娘の意気じゃない。
トン子さんは不幸な娘であった。田舎の小学校の校長先生の娘であるが、母親が死んでママ母がきた。ママ母にたくさん子供ができて、ママ母と折合いが悪い。家出をしたこともある。ウチにいたくないので、女工になったこともある。然し、女工はお行儀が悪くなるから、と校長先生が心配して、うちの女中に、校長先生から頼みこんできたのだそうだ。
だから、いつもくるような田舎娘の女中と違って、いくらか都会風である。女工らしいところがある。目つきが鋭く、陰鬱であった。
シャクレた顔であった。小柄で、やせて、敏活そうであったが、無口である。然し、キテンはきく。仕事の要領がよくて、ジンソクである。たゞ、誰にも無愛想であったが、水商売のウチとちがって、それで困るということもない。
そのころ、私と一しょに妹がいた。妹は平凡な家庭婦人の生れつきで、どういうわけだか、トン子さんが甚しく気に召したようである。
小学校の校長先生の娘で、ママ母に苦しんだ不幸な身の上ということなどが、先ず第一に極めて人情と好意にみちた受けいれ態勢をとゝのえさせていたものだろう。
私の目には、誰よりもイヤらしい女中に見える。ヒネクレている。無口で、人のヒミツをジッとうかゞっているような、陰険で、なんとなく不潔な感じが漂っている。ママ母と折合いの悪いのは当然で、むしろママ母の方が泣かされたろうと思われるぐらいである。
世間知らずの妹は、そんな風には考えない。ママ母にいじめられて、ヒネクレ、陰険になり、無口になったと解釈する。無愛想はむしろ美徳だと考える。女中がチャラ/\御用聞きなどゝ談笑するのを好まないのである。
私にくってかゝって、
「兄さんは不幸な境遇が人の性格をゆがめることも知らないで、小説を書こうなんて、まちがいよ。あたゝかい心がないのです。ろくな文学は書けませんよ」
妹は着物を買ってやったり、東京見物につれて歩いたり、お裁縫を教えたり、たいへんなゴヒイキである。
夜、膝つき合して裁縫している時などに、身の上をきいたりすると、シャクレ顔がデングリ返ったような深刻な思いつめた表情となって、ママ母にいじめられた数々を身もだえるように語りだす。ヒソヒソと秘密を打ちあけるようである。告白のせつなさだ。シャクレた底で目玉がピカピカひかる。因果物の娘の演技である、復讐の青大将が這いまわるという連鎖劇の気分である。
「お嬢さまの御恩は死んでも忘れません」
などゝ、告白のついでにヒソヒソと胸の思いをもらす要領であるから、お人好しの妹は鼻をヒクヒクさせて、
「私の恩は死んでも忘れないと言いましたよ。可哀そうな娘なのよ。愛情に飢えているのでしょう」
などゝ、大得意で、月給をあげてやる。
「あの子は男ぎらいなんでしょう。御用聞きが品物を届けにきても、有難うも言わなけりゃ、お愛想笑い一つしないのよ。品物を受けとると、ジャケンなぐらい、ピシャリッと戸をしめるのよ」
すべて女中というものは、家人の前で恋をさゝやく筈はない。チャラ/\と裏口で御用聞きと歓談する女中の方が腹蔵ないかも知れない。無口、陰険、因果物の演技に巧なトン子さんは、人の知らないところで何をしているか見当がつかないように思われるが、妹は自分の目に見ていることだけ信用できるタチで、思いこんでいるのである。
そのころ私は自分の恋にかゝりきって、多忙をきわめ、ウワの空で暮していた。三日にあげず女の人から手紙がきて、私がまた郵便のくる時間になると落付かないから、妹は私を蔑んで、便所へ行くフリや、お水をのみにくるフリしなくっともい
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