ゝでしょう、堂々と郵便箱のぞきなさいな、などゝ冷笑する。
トン子さんが郵便屋の影を認めると、スイとでて行って郵便箱からとってきて、妹に渡す。
妹がタシナミのない嬌声をあげて、
「来ましたよ、来ましたよ、お待ちかねの物」
けれども、時には、私が便所へ降りる途中に運よく郵便屋の通りすぎる影を認める時がある。私が玄関からでようとすると、出会い頭に、トン子がとびだして、スイと私をすりぬけてでる。
「いゝよ。僕がとってくるから」
トン子さんは下駄を突ッかけかけて、敵意の目でジッと私の顔色をうかゞう。穏やかならぬ目つきである。
私は立腹して、
「いゝったら。僕がとってくる」
トン子さんは、とっさに蒼ざめ、キリキリ口をむすんで、顔をそむける。
「なんだって仏頂ヅラをするんだい。僕がとりに行くからいゝよ、と云われたら、ハイと答えて、すむことじゃないか」
顔をそむけたまゝ、これをきいていて、肩に怒りをあらわしてプイと振りきるように郵便箱へ駈けだして行くのである。なんとも、興ざめ、相手にするのがアサマシイ思いであった。なんという強情、ヒネクレモノ、可愛げのない奴だろう、ブンナグッてやりたいような気持だが、天性、私は女の子をブツことのできないたちで、ネチ/\ブス/\と根にもっている。
ところが、トン子さんの根にもつこと、私以上に甚しい。
私の顔を見るとたん、ブスッと怒りッ面をして、顔をそむける。クルリとふりむいて、女中部屋へバタ/\駈けこみ、ピシャリと障子をしめてしまう。
これが度かさなると、なんだか、私が口説いて追い廻して、逃げ廻られ、振られているような様子で、妹も不審な顔をしはじめてきたから、私も我慢ができなくなり、逃げこんでピシャリとしめた女中部屋の障子をあけて、
「キザなことは止せ。なんのために逃げ廻るんだ。まるで、オレが君を追い廻して、君に逃げ廻られてゞもいるような様子だね。なんのために逃げるんだ。ワケを言ってみろ」
ブスッとふくれて、返答しない。ぶつなり、殺すなり、勝手にしろ、という突きつめた最後の構えで、痴情裏切りの果とか、命にかけても身はまかされぬと示威する構えで、小娘のただの構えじゃない。こっちはワケが分らないから、たゞワケを言ってみろ、とネジこんでいるだけのことだから、こんな極度の構えで応対されては、寒気がする。イマイマしいけれども、これ以上、どうすることもできない。
あまりのことに、妹も半信半疑で、
「兄さん、ほんとに、何か、変なこと、したんじゃないの」
「バカぬかせ。あいつ、何か言ったのか」
「いゝえ、問いつめてみても、返答しないんです」
「あたりまえだ。ありもしないこと、言える筈がないにきまってる」
「だって、益々変よ。ちかごろは、お風呂へはいるとき、内側からカギをかけるのよ。ねる時も、女中部屋の障子にシンバリ棒をかけるんです。一方だけシンバリ棒をかけたって、一方の障子があくのに、バカな子ね。でも、そんな要心たゞ事じゃないでしょう。そのくせ、じゃア、私のお部屋へ寝にいらっしゃいと云っても、来ないのよ」
「それみろ。あいつはヒネクレ根性の、悪党なんだ。あんな不潔な、可愛げのない奴、追いだしてしまえ」
けれども、妹はまだトン子さんに信用おいて、兄貴の方の疑いは、内々すてることができないのである。
私の方は相も変らず郵便の時間がくると、ソワ/\落付かない。おトンちゃんのことなど気兼ねしていられないから、便所へ立ったり、水をのみに行ったり。ある日、また、折よくその途中に郵便配達夫の影を認めた。
さっそく玄関から出ようとする、とたんにサッと飛びだしてきてヒラリと私をすりぬけたのは、申すまでもなくおトンちゃん、もう私なんか目もくれず、下駄をはこうとするから、
「コラッ!」
私は大喝して、夢中であった。逆上して、とびかゝって、おトンちゃんの襟首をつかむ、然し、私は落付いていた。私は大男であり、先方は小柄の女だから、襟首をつかまえれば、それまでのことだと思ったからだ。
襟首を握った私の手は、とたんに宙をぶらぶらした。おトンちゃんは振りはらい、手の下をくゞり、扉を蹴るようにあけて、ハダシで一直線に郵便箱へ走っていた。
たゞごとではない。私は妹に云った。
「これは意地強情とか、ヒネクレ根性というだけじゃないよ。あいつ、男があるんだよ。男の便りを待ってるのだろう」
「じゃア、兄さんとおんなじじゃないの。ころあいのサヤアテでしょう。それにしても、熱病患者の兄さんが敗北するとは、おトンちゃんの情熱は凄いわね」
妹も、どうやら、おトンちゃんの恋人説を信じたようだ。
どんな人? いくつ? ショウバイは? どこにいる人? それとなくきいてみるが、返答しない。
「きっと、深いワケがあるのよ」
「なぜ」
「あの沈鬱、たゞごとじゃないわ。だから、たとえば、その恋人は、刑務所かなんかに居るんじゃないかしら」
「ふうむ」
これも、一説である。
すると、妹は、もう、それにきめてしまった。名察に気をよくして、益々おトンちゃんをいたわり、ヒイキに、可愛がってやっていた。
★
私は五十日ほど旅行にでた。風流な旅行ではなかった。
帰ってみると、母と妹はそのまゝだが、近所の農家の娘が手伝いに来ており、おトンちゃんの姿がない。
「おトンちゃん、どうした」
ときくと、食事を途中にして、妹は急にサッと顔色を変え、苛々と癇癪の相をあらわし、プイと立って、どこかへ行ってしまった。
「十日ほど前、ヒマをだしたよ」
と、母が説明した。
不思議な噂が、その日、妹の耳にはいったのである。おトンちゃんが近所へ言いふらしているというのだ。あそこの兄さんは良い人だけれども、妹の方は鬼のような人だ。私を苦しめて、よろこんでいる。あんな鬼のような女の家にはいたくない。どこか、ほかに、つとめたい。
妹は驚いて、直に調査にかゝった。近所を一々きいて廻ると、たしかに事実である。妹はまさしく鬼になって、戻ってきた。
妹はおトンちゃんを呼びつけて面詰した。
「これほど可愛がってあげているのに、恩を仇で返すとは、何事です」
その見幕の凄いこと、母は笑って私を見つめて、
「凄いの、なんの。驚いたよ。あんな、おとなしいのが、よくまア、あんなに、怒れたものだよ。不思議なものだね。呆れたね」
と、大感服しているのである。
今すぐ出て行きなさい、と云って、一分とユーヨを与えず、目の前で荷造りさせて、そくざに追放してしまった。アッという間のことで、おトンちゃんは終始一貫、返答ひとつしなかったそうだ。
なるほど、不思議な話だ。
妹が鬼のようだとは、たしかにワケが分らない。そのうえ、私は良い人だとくる。これ又、奇々怪々。
これを娘心の謎というか。私はよい気持である。だから、妹は私を見ると、ふくれるばかり、しばらくは全然話を交そうともしない。
しばらく日数がすぎて、妹の気持もまぎれたころだ。
世間話のうちに、ふと、おトンちゃんのことを思いだして、
「あの子、おかしいのよ」
「なにが」
「あの子はね、新聞や雑誌の広告を見て、いろんな毛はえ薬を買っていたのよ。奈良だの、大阪だの、姫路だの、岡山だのと、方々のね。小包がくるでしょう。すぐ隠して持ち去るでしょう。あんまり様子が変だから、あの子の留守にお部屋を調べてみたのです。荷物の底へ、同じような毛はえ薬がたくさん隠してあるでしょう」
妹は、たまらなくなって、腹をかゝえて笑いころげてしまった。
つまり、おトンちゃんは、あるべきところに毛がなかったのである。
残酷にも毛はえ薬の秘密をあばいた妹をどんなに憎んだか、おトンちゃんの踏みつぶされた逆上自卑は悲痛である。
タシナミなく腹をかゝえてゲタゲタ笑う妹であるから、おトンちゃんと毛はえ薬を前にして、その時もゲタゲタ笑いくずれたに相違ない。
「あの子の根性のヒネクレ方は例外よ。陰険といったって、あれほどの陰険さがあるかしら。あれほど可愛がってあげているのに、恩を仇で返すなんて」
と、妹は、そのときも、こう附けたして悲憤の涙を流さんばかりであったから、おトンちゃんの悲痛な心事に、今もって、思い至っていないのである。鬼だと云うであろう。云わずには、いられぬであろう。妹の世間知らずは、度しがたい。
おトンちゃんへの悪感情を私は一度に失っていた。
私の頭がハゲていると分ってのちのサンタンたる思いのうちで、私は時々おトンちゃんのシャクレ顔を思いだしたものである。これは男の若ハゲなどゝは比較を絶する悲痛な呪いであったろう。
底本:「坂口安吾全集 06」筑摩書房
1998(平成10)年7月20日初版第1刷発行
底本の親本:「オール読物 第三巻第五号」
1948(昭和23)年5月1日発行
初出:「オール読物 第三巻第五号」
1948(昭和23)年5月1日発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2007年7月24日作成
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