。左門の親しい友であつた。童貞マリヤの理想のためにいちは結婚を憎んでゐたが、もはや我儘はとほらなかつた。いちは泣く泣く結婚した。鹿鳴館の絢爛な夢が恰もそのころ余燼を絶たうとしてゐたやうに、いちの半生の神秘な夢も終りを告げたのであつた。
いちは青木雄策に嫁して四児をあげた。かしらの三児は女子であつたが、最後の一人が男子であつた。青木卓一は厭世港市の性格のほかに、母親の傷つきやすい夢の狂躁をうけて生れた。明治三十五年(西暦一九〇二年)だつた。
卓一が四歳の時であつた。父雄策は狂死した。発狂は死の前年のことだつた。後年卓一は父の発狂の真相を突きとめたいと思つたが、遺伝関係の手係りもなく、異国時代のジフィリスもその確証があがらなかつた。人々のせはしなく立騒ぐ黄昏れどきに家を脱けいで、野犬のやうに路傍に食をあさりながら彷徨《さまよ》つたあげく、とある漁村の砂丘の襞に行倒れた彼の姿が見出されたときは、もはや瀕死の状態であつた。卓一の記憶に父はなかつた。隆盛だつた病院もなかつた。彼が物心ついたときには、海へ通ふ砂径沿ひの緑陰のしじまの深い閑かな借家に一家は住んでゐたのであつた。いちの中にはサンタ
前へ
次へ
全10ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング