スムを愛用し、積極的な情熱の虚偽を蔑みながら愛してもゐた。森春涛の機関誌に派手な感慨を羅列した七言絶句を投稿して、わづかに鬱憤を晴らしたりした。
 若い虚無家の不得要領の奔走が有耶無耶《うやむや》のために奏功した。いちの婚約は解消され、いちも洗礼を断念し、勘当を解かれて生家へ帰つた。どさくさが鳧《けり》をつけた翌日だつた。虚無家は大金を懐中に秘め、なにげない散歩の態でぶらりと外へ出掛けたまま、東京へ向けて出奔した。彼は早稲田へ入学した。尾崎紅葉が同級だつた。父はどさくさに疲れ果て、この出奔に公許を与へねばならなかつたが、左門は人為の卑小・思想の虚しさに絶望したと至極大きな呟きを洩して、卒業の時も待たずに飄然故郷へ帰つてきた。
 宣教師ブレルスフォードは新潟市中大畑の私宅の一部に英学塾をひらいてゐた。いちは勘当を許されてのち、ブレルスフォードの塾に通ひ、まもなく助教師に抜擢された。二十五を迎へるまで、いちの理想と神経に最大限の忍耐を重ねた父も、放任の最後の時がきたことを見極めなければならなかつた。折から青木雄策がいちを配偶に懇望した。青木は西欧の医学を修め、帰朝して開業したての医師だつた
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