女の方が却つて潔く身をひいたので、妻子のある男とみれんがましくかゝずりあつてゐるよりも、自由の天地らしいものが行く手にひらかれて見えたからであらう。
 そのとき立直ればよかつたのだが、解散のどさくさに儲けた仕事が手蔓になつて、闇屋をやり、その景気が封鎖の直前ごろまでつゞいた。立直るといつても、元々好かない女房だ。気のすゝまぬのも尤もで、その女房への気兼ねから女と別れたことも口惜しく、いくらかの女のみれんが、よほど大きなみれんのやうにも思はれてくる。別れた当座大いにホッとしたことも忘れて、実は内心ぐれだしてゐた。
 会社の借家を立退いて、彼がやうやく見つけだした一室といふのが、焼跡の高台に小さく取残された一劃で、昔はどこかの番頭だといふ老人夫婦の侘び住居だ。男三人の兄弟の兄と弟が戦死して、まんなかが焼夷弾の直撃で死んだといふ、気の毒は気の毒だが、因業爺で、その二階の一室。唐紙ひとつ隣の部屋にオコノミ焼の母と娘とヒロシの三人がゐるのである。オコノミ焼の女主人は因業爺の姉の子に当るのだが、お前さんの母親はな、私の苦しい時に一文の助けもしなかつたものだ、と、今では邪魔にしてゐるが、焼けだされて
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