ゐるのである。切なさ、といふ母がゐる。苦しみ、といふふるさとがある。
 夏川の母はもう七十をすぎた年だが、田舎の武士の堅苦しい躾の中で育つた人で、中学時代の夏川は漢文の復習予習を母についてやらされたものだ。食事に膝をくづしてもたしなめられる厳格な母であつたが、それほどの母であつても、母といふ動物であることを免れない。不肖の子は特に可愛いといふ通り、迷惑をかけるたびにいつも負けるのは母親で、それがわが子の宿命ならば、善悪は措《お》き、同じ宿命を共にしたいと考へる。
 子供の頃は怖しい母であつたし、今も尚、怖れの外には母を思ひだすことのない夏川であつたが、それは彼の心に棲む母のことだ。現実の母は、叱る声も、怒る眼も在る代りには、だますこともでき、言ひくるめることもできる。ひどく云へば、悪事の加担をすゝめることもできるほど、子のために愚直な動物的な女であつた。
 何事によらず、概ね人の怖れることは、ある極めて動物的な一瞬時なのである。死の如きものでも、さうである。そして夏川が母の上京に就て怖れることも、実は単に一瞬時で、怒る眼も、叱る声も、長く続いて変らぬといふ性質のものではない。だますこと
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