とは、理知のよく正視に堪え得るものではない。しかもそのみたされたる肉慾の片われが汝自らであるときては、その寂寞、その虚しさ、消え得るならば消え失せて風となつて走りたい。すべてはあるがまゝ夢である故、彼はつとめて女を憎み呪はぬやうにしてゐるのだが、ヒロシの切なさを我身の切なさの如くに考へることが多かつた。
 夏川は眠るまのわづかばかりの物思ひにも、同じ寝床に足腰のふれてゐる女に就て思ふよりも、ヒロシに就て思ふことが多かつた。ヒロシは今、何を考へてゐるだらうか、と。ヒロシは悲しんでゐるだらう。なぜヒロシは悲しむか。彼は人を憎むことがないからである。彼はたゞ、我《われ》人《ひと》ともに、その運命を悲しむ。彼の胸に燃えてゐるその火の如くに高貴ならざるが故にである。ヒロシはよく眠りうるであらうか、と。

          ★

「ナアさん。いつそ、あたくしにまかせていたゞけませんか」
「まかせるつて、何をさ」
「あたくし、心当りの家がありますのよ。いゝえ、懇意な家ですから至つて気のおけないところなのです。荷物はあとで、あたくしが運びますから」
「まア差し当つて、そこまで考へることはないぢやない
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