た。娘の顔色が変つたからだ。今にも泣くのかと夏川は思つた。然し、さすがに花柳地に育つた娘で、さうだらしなく涙を見せるやうなことはしない。唇をかみしめて俯向いたが、昔風に言へば、肩が泣いてゐたとでも云ふのであらう。春を売るわが身のあさましさを知る故に、その母のみだらな情慾を憎むのであらうか。それとも、聖なる母を祈ることは娘の本能なのであらうか。
かほど切なる娘の祈りにもかゝはらず、夏川はたうとうその母と情交を結ぶやうになつてしまつた。
封鎖直前、あぶく銭の余りがあつたので、蒲鉾小屋のオデン屋をもたせてやつた男があつた。この男は戦争前から屋台のオデンが商売なのだが、田舎に疎開してゐたために立ちおくれて、闇市で魚屋の手伝ひなどをやつてゐたのを、夏川が知り合つて助けてやつたのだ。夏川よりも三ツ四ツ年上の年恰好だが、これが今では夏川の親友で、この男が常々夏川にかう言つてゐたものである。
「ナアさん。いくら酔つ払つても、あの婆アさんにだけは手をだしちやアいけないよ。あの年頃の女は先に男のできる当もないから気違ひのやうに絡みついて離れられなくなるものだ。私がそれで苦い経験があるのだよ。たつた一夜
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