らうし、膝小僧も時にはすりむいたであらう。然し、ヒロシがその胸にだきしめてゐる品格の灯はその卑小なる現身《うつしみ》と交錯せず、彼はたぶんその現身の卑しさを自覚してはゐないのだ。彼は胸の灯をだきしめて、ともかく思ひつめて生きてゐる。そして彼は下品を憎み、卑猥なる言辞を悲しむが、その言辞を放つ人自体を憎むことも悲しむこともないやうだつた。彼はこの現実から遊離して、まさしく品格の灯の中に棲み、切に下品なるものを憎むが、あらゆる人を常に許してゐるのである。それは畸形な道化者の姿であつたが、又、何人がその品格を笑ひ得ようか。
 然し、夏川は、ねむれぬ夜や、起上る気力とてもない朝の寝床の中なぞで、うそ寒い笑ひの中でヒロシの妙にトンチンカンな気品を思ひ描いてみたものだ。笑ひを噛み殺さずにゐられぬやうな気持にもなるが、又、奇妙に切ない気持になつた。ともかく五十女の情慾と変態男の執念が唐紙の一つ向ふで妙チキリンな伊達ひきの火花をちらしてゐるおかげで、底なしの泥沼の一足手前でふみとゞまつてゐられる。さういふ自分は果して何者だらうかと考へる。彼はよく子供の頃の自分を考へた。小学校の頃は組で誰よりも小心者で
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