。その魂には一と刷毛《はけ》の化粧もほどこされてはゐなかつた。だが、俺自身を見るがいゝ。俺も亦さうなのだらうと考へると、夏川は何よりもわが身が切なかつた。
 三匹の虫のやうな生活にともかく夏川が堪へられたのは、ヒロシといふ虫が趣きが変つてゐたせゐだらう。変態の男といふものは、女の魅力にふりむくことがないものだ。ふりむくことが有るとすればたゞ嫉妬からで、自分は本来女であると牢固として思ひこんでゐるやうである。彼は歌舞伎の女形と云はずに、女優と云つた。えゝ、あたくしは女優でした、と云ふのである。彼は鬘《かつら》や女の衣裳をつけたがりはしなかつた。男姿のまゝ、女であると信じきつてゐるやうだつた。その顔の本来の美しさはオコノミ焼の娘も遠く及びはしないであらう。何よりも潤ひの深い翳があつた。その顔は幼なかつたが、愁ひがあつた。彼の胸にはともかく一つの魂が奇妙な姿で住んでゐたと云ふことができる。その魂はこの現世にはもはや実在しないものだ。歌舞伎の舞台の上にだけ実在してゐる魂で、主のために忠をつくし、情のために義をつくし、あらゆる痛苦と汚辱を忍んで胸の純潔をまもりぬく焔のやうな魂であつた。
 オコノ
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