にねる時はいつも夏川の蒲団の中に寝てゐたものであつた。よくまアあんな馬鹿騒ぎができたものだと夏川は思ふが、あれぐらゐ傍若無人の馬鹿騒ぎになると、あたりが呑まれてその気になつてしまふもので、オコノミ焼の母親まで一ぱし芸者めく気持になつてオシロイもぬりかねない打ちこみ方になつたから笑はせる。因業爺までウヰスキーを頂戴したり何がしの引出物にあづかつたりして、幇間なみにへいつくばつてお世辞も云ひ、端唄《はうた》の二つ三つ無理にも唸つてみせたものだ。
元々彼の一味は会社の仲間でいづれも中年ちかい年配、敗戦と会社の解散、妻子も故郷に帰してゐるといふ年配と境遇からも謀反を起してみたい条件がそろつてゐる、自然の手蔓であぶく銭をかせいでみたが、血気な青年に比べると節度や多少の見通しが立つだけ却つてだめで、封鎖を境にもう潮時だと解散して、妻子のもとへ帰つたり、改めて腰弁生活を始めた男もあつた。
夏川だけが置きすてられたが、堕ちる肚をきめてしまへば生活に困るといふことはない。それまでの顔があるので、米でも酒でも右から左へ動かしただけで相当の金にはなるので、こまめに足を動かせば、昔のやうにはいかないが、時々は酔ひつぶれるぐらゐのことはできた。金廻りが悪くなると却つてオコノミ焼の母娘やヒロシと親密さが濃くなつたのは、有頂天時代の危さがなくなり、同じ淪落の同類項で、助けられたり助けたりといふたのもしさが生れたせゐだ。淪落の世界では助けるといふ一方的な関係から血肉的な親密は生れてこない。夏川は淪落世界の意外に温帯的な住み良さに驚いたが、一方では意外の伏兵に悲鳴をあげた。
娘はもと/\夏川の蒲団の中に寝てゐた頃から、彼をオヂサンと呼んでゐたので、さうだらう、四十男と十八の娘だ。別に夏川を嫌つてもゐないが、愛情などはもつてゐない。金に買はれただけの話で、金がなければそれまでといふ冷めたさでもないが、つまり、金がなければ、オヂサンで、貞操の念もない代りに、行きがゝりに縛られるやうな情もない。至つて自由で、見様によれば無邪気であり、憎いどころか、爽やかな明るさを感じられるぐらゐであつた。そしてその頃からオデンヤなどで働くやうになり、自分の家へ帰ることがめつたにないやうになつたが、急に大人びて、会ふたびに成熟して行く。それは植物の開花まぎはの恐るべき成熟の速度に似てゐた。夏川は外の娘の場合に未だ曾《かつ》てこのやうな目覚しい妖艶な成熟を見たことがなかつたのは、さういふ世界に縁がなかつたせゐでもあるが、その未熟なころの肢体を知つてゐるといふことが今では意外な遺恨を深めてゐるやうだつた。夏川は時にいさゝか迷つたものだ。金さへあれば、再び、と。
然し、意外な伏兵はそれではないので、娘と夏川とのつながりがかうあつさりと断たれると、母親の五十ちかい情炎が代つて働きかけてきた。同時にヒロシのひたむきな情熱が陰にこもつて差向けられてきたので、夏川もこれにはほと/\困つたものだ。五十女の情炎などと或ひは詩人は歌ふかも知れぬが、夏川は昔からゴヤの絵は好きではない。この母親も娘の頃は美しかつたに相違なく、その面影は今もいくらか残つてゐる。根が善良で、小心で、慎み深い人であり、亭主に死別しなければ誰にもまして貞淑な人であつたに相違なく、およそ淫奔の性ではない。月経閉鎖期のこの年頃は特殊なものだといふことだが、時代が時代で、思ひつめて育てあげた一人娘は闇の女になる。条件がそろつてゐるからえゝマヽヨと怪しからぬ気分になるのも尤もだが、痛ましくて、悪く言へば正視に堪へざる醜悪さで、白昼見られたものではない。ところが人の子の悲しさに、この妖怪じみたものまで、むしろ妖怪じみてゐるために、いつとなく酒に酔つた夏川は好色をそゝられるやうになつてきた。いくら酔つてもさすがに抑へる気持がある。けれども一日雨ふりのつれづれに酒をのむと三人ながら酔ひ痴れて、みだらなことが当り前のやうな気分になつたとき、思はず夏川がその気になると、それまで最もだらしなく色好みに見えた五十女が急に顔色が変つて、なんとも立つ瀬がないやうな困却しきつた顔になつた。そのために夏川は理性をとりもどすことができたが、花咲く木には花の咲く時期がある、といふことを思ひ知らずにゐられなかつた。
女の青春は人間の花で、羞恥も恐怖も花の香におのづと色どられてゐるものだ。然し、その花はいつかは萎《しな》び、今夏川が眼前に認めたものは、花の時節が過ぎたといふ、たゞそれだけのものではなかつた。花の佳人が住み捨てたあとの廃屋に、移り住んだ別の住人がゐるのである。この住人は夢も、あこがれも、甘さも知らず、たゞ現実の汚さを知るだけだつた。困却しきつたその顔が語つてゐるのである。私は汚いお婆さんさ。そのお婆さんが可愛い筈はないぢやないか。それを承知で口
前へ
次へ
全9ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング