わいているが、それは水温十九度で夏の季節でも利用する者はほとんどいない。片隅に一般家庭の風呂オケの倍ぐらいしかないのがあって、それがワカシ湯である。
 ワカシ湯には一人のお婆さんがつかっているだけだ。水槽のフチに腰かけて両足水中に入れてるのがお菊である。それを右と左から青年と男の子供が写生している。むろんみんながハダカである。
 この青年はキチガイであった。お婆さんと男の子供はその連れで、四五日前から逗留している保久呂湯のただ一組の客であった。保久呂湯は万病にきくと云われているが、特にキチガイにきくという古来からの伝えがあった。この青年のキチガイは中平と風呂で一しょになるとお湯をすくって彼の顔にぶッかけてニヤリと笑う癖があった。中平は五尺八寸五分もある。彼を風呂から追いだすとキチガイの一家は楽に入浴がたのしめるのだ。中平はこのキチガイをダカツのように呪っていたから、
「コラ! ウチの孫娘をハダカにして絵にかくとは不埒な極道者め!」
「着物をきせて風呂に入れるつもりだろうかこの人は」
 彼を見上げてこう冷静に質問したのは子供の方であった。この子供は数え年七ツである。キチガイは挨拶がわりに
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