冷水をしゃくッてぶッかけようとするから、中平は逃げながら、
「石の牢屋へ入れてくれるぞ。この山には千年も前に鬼のつくった石の牢屋があるのだぞ。泣いても、どこにも泣き声がきこえんわ」
「怖しい人だわねえ。子供たちが無邪気に絵をかいているだけだというのに」
 風呂の中のお婆さんがこう云った。
「ナニが無邪気だ。ウチの孫娘は中学二年生だ。もう三年もたてばヨメに行く年ごろだというのにハダカの姿を見せ物にされてたまるか」
 そのとき七ツの子供がおどろくべきことを云って中平をからかったのである。
「ジイサン、シマの財布を肌につけて保久呂湯へ湯治にくる時のほかは放したことがないんだってね。今ごろ盗まれていはしまいか」
 中平はキチガイが彼の顔にぶッかける水のことなぞは忘れてしまった。呆気にとられて子供を睨みつけていた。彼の人生にこれほどの重大なことはなかったのである。まさしく彼は保久呂湯へくる時のほかにはシマの財布を肌身放したことがない。その時だけは神棚へあげてくるのである。むろん彼には預金もあったが、預金だけでは心細かった。現金を肌身放さず身につけていないと安心できなかった。そして保久呂湯へ来てい
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