のである。
その論争が位置の上下から始まったし、論争してる者が事ごとに敵手たる二名であったから、久作はふと考えた。この部落の天皇は自分の家であったかも知れない。なぜなら十一戸の戸数のうち、上に五戸、下に五戸、自分の家は真ン中だ。こう思いつくとにわかにその気になったから、彼は横からこの論争に参加して自説を唱えたが、彼の主張が一番バカげたものだと部落中の物笑いに終った。もともと保久呂湯によっていくらかは人に知られている部落であるし、現に保久呂湯が部落の中心で、部落のデパートでもあれば集会所でもあるのだから、部落が保久呂湯から起ったときめる方が理窟ぬきに割りきれている。それでこの論争はだいたい三吉の主張が部落の人々の支持を得たようだ。
当時、三吉は保久呂霊薬を売りだして当っていた。家伝霊薬と銘うって千年も前から伝わっているように云いふらしていたが、万事は三吉の方寸からでたもので、草津の湯花から思いついたものであった。保久呂湯も湯花がでる。水の時はでないが、湯にすると、落し口にたまる。部落では湯花と云わずに湯渋と云っているが、この鉱泉は渋の色をしていて、味も渋く、万事渋の表現が適している。
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