大聖人と仰がれるようになってから、夢に天女と契《ちぎ》りをむすんで、夢精した。これを弟子に発見されて有象無象《うぞうむぞう》にとりかこまれて詰問を受け、聖人でも夢と生理は致し方がないものだとフロイド博士に殴られそうなことを言って澄している。徹頭徹尾あくどい聖人ばかりであるが、按吉は我身と社楽斎のつながりに就《つい》てひそかに心細さが身に沁むたびに、このことに就て、特にこだわらずにはいられなかった。社楽斎がいきなり仙人になることは先ず以て不可能だが、大悪党が聖人になることは確かに不可能ではない筈だ。
 ところで、話は別であるが、印度の哲人とは違った意味で、日本の坊主が、実に又、徹頭徹尾あくどいのである。
 仏教の講座に出席する。先生方はみんな頭の涼しい方で、なかには管長|猊下《げいか》もあり、衣をつけて教室へでていらっしゃる。一切皆空を身につけて、流石《さすが》に悠々、天地の如く自然の態に見受けられたが、淡々として悟りきった哲理の解説にも拘《かかわ》らず、悟りの明るさとか、希望とか、そういうものの爽快さを、どうしても感じることができなかった。そうして、それを感じさせない障碍《しょうがい》
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