は、哲理自体にあるのではなく、それを解説していらっしゃる先生方の人柄――むしろ、肉体(実に按吉はその肉体のみはっきり感じた)にあるのだと確信するより仕方がなかった。実に、暗い。なにかしら、荒涼として、人肉の市にさまようような切なさであった。不自然で、陰惨だった。
按吉は、時々、お天気のいい日、臍下丹田《せいかたんでん》に力をいれて、充分覚悟をかためた上で、高僧を訪ねることが、稀にはあった。坊主は人の頭を遠慮なくぶん殴るという話で、三十棒といったりして、ひとつふたつと違うから、出発に際して、充分に覚悟をきめる必要などがあったのである。天日ためにくらし、とはこの時のことで、良く晴れた日を選んで出ても、道中は実にくらく、せつなかった。けれども流石に高僧たちは、按吉のような書生にも、大概気楽に会ってくれたし、会ってみれば、実に気軽にうちとけて、道中の不安などは雲散霧消が常だった。そうして、各の高僧達は、各の悟りの法悦をきかせてくれた。けれども、ここでも、やっぱり人肉の市をさまようような切なさだけは、教室の中と変りがなかった。
こういう立派な高僧方にお会いすると、どういうわけだか、人間とか、
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