大聖人と仰がれるようになってから、夢に天女と契《ちぎ》りをむすんで、夢精した。これを弟子に発見されて有象無象《うぞうむぞう》にとりかこまれて詰問を受け、聖人でも夢と生理は致し方がないものだとフロイド博士に殴られそうなことを言って澄している。徹頭徹尾あくどい聖人ばかりであるが、按吉は我身と社楽斎のつながりに就《つい》てひそかに心細さが身に沁むたびに、このことに就て、特にこだわらずにはいられなかった。社楽斎がいきなり仙人になることは先ず以て不可能だが、大悪党が聖人になることは確かに不可能ではない筈だ。
ところで、話は別であるが、印度の哲人とは違った意味で、日本の坊主が、実に又、徹頭徹尾あくどいのである。
仏教の講座に出席する。先生方はみんな頭の涼しい方で、なかには管長|猊下《げいか》もあり、衣をつけて教室へでていらっしゃる。一切皆空を身につけて、流石《さすが》に悠々、天地の如く自然の態に見受けられたが、淡々として悟りきった哲理の解説にも拘《かかわ》らず、悟りの明るさとか、希望とか、そういうものの爽快さを、どうしても感じることができなかった。そうして、それを感じさせない障碍《しょうがい》は、哲理自体にあるのではなく、それを解説していらっしゃる先生方の人柄――むしろ、肉体(実に按吉はその肉体のみはっきり感じた)にあるのだと確信するより仕方がなかった。実に、暗い。なにかしら、荒涼として、人肉の市にさまようような切なさであった。不自然で、陰惨だった。
按吉は、時々、お天気のいい日、臍下丹田《せいかたんでん》に力をいれて、充分覚悟をかためた上で、高僧を訪ねることが、稀にはあった。坊主は人の頭を遠慮なくぶん殴るという話で、三十棒といったりして、ひとつふたつと違うから、出発に際して、充分に覚悟をきめる必要などがあったのである。天日ためにくらし、とはこの時のことで、良く晴れた日を選んで出ても、道中は実にくらく、せつなかった。けれども流石に高僧たちは、按吉のような書生にも、大概気楽に会ってくれたし、会ってみれば、実に気軽にうちとけて、道中の不安などは雲散霧消が常だった。そうして、各の高僧達は、各の悟りの法悦をきかせてくれた。けれども、ここでも、やっぱり人肉の市をさまようような切なさだけは、教室の中と変りがなかった。
こういう立派な高僧方にお会いすると、どういうわけだか、人間とか、
前へ
次へ
全20ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング