ふけ》っていたようにも思われるし、これはもうてんでわけが分らないのだ。
 とにかく分らないことばかりだが、按吉の身にしてみると、これでとにかく、こっちの方は自殺がひとつ助かったという甚だ明朗な事柄だけが沁々《しみじみ》分ってきたのである。青天白日の思いであった。そうして先生が童貞を失ってくれたことを天帝に向って深く感謝する思いによって心は暫くふくらんでいた。先生の相手をつとめた売春婦にお礼を述べたいものだなどと、忘恩的なことを一向に平然として考えているほどであった。
 尤も先生が童貞を失ってくれたおかげで、名誉あるわが帝国にはひとりの奇怪なチベット博士が生れずに済んだという国民ひとしく祝盃を挙げなければならないような隠れた功績もあるのであった。

 その昔、泉州堺の町に、表徳号を社楽斎という俳人があった。仙人になる秘薬の伝授を受け、半年もかかって丸薬をねりあげて、朝晩これを飲んだあげく、もうそろそろ飛行の術ができるだろうというので、屋根の上から飛び降りて、腰骨を折ってしまった。
 この時以来、できないことをすることを「シャラクサイ」ことをする、というようになったという話である。
 按吉は、時々深夜の物思いに、ふと、俺はどうも社楽斎の末裔《まつえい》じゃないかなどと考えて、心細さが身に沁むようになっていた。若い身そらで、悟りをひらこうなどとは、どう考えても思慮ある人間の思想じゃない。第一、辞書だの書物の中に悟りが息を殺して隠れているということは金輪際ないではないか。その昔、猿の大王だの豚の精だのひきつれて、こういう思想で、天竺《てんじく》へお経をとりにでかけた坊主もいたけれども、あそこには生死をかけた旅行があった。按吉ときては、電車にゆられて学校へ行くだけではないか。
 第一、印度の哲人達を見るがいい。若い身そらで、悟りをひらこうなどと一念発起した青道心はひとりもいない。どれもこれも、手のつけられない大悪党ばかりである。言語道断な助平ばかりで、まず不惑《ふわく》という年頃までは、女のほかの何事も考えるということがない。仏教第一の大哲学者は後宮へ忍びこんで千人の美女を犯す悲願をたて、あらかた悲願の果てたころに、ようやく殊勝な心を起した。これにつづく更に一人の大哲人は、母親を犯してのちに、ようやく一念発起した。おまけにこの先生ときては、天晴《あっぱれ》悟りをひらいて当代の
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