充つるやうにしか書けないわけのものであらうが、そこで私は自分の状態をのべると、あくまで断定的ならざる又組織的ならざる形態で示したものが、それ自体としては真実を掴んでゐないにせよ、真実を掴みそこねてはゐないので、真実らしく見えるのである。且又斯様に分裂的な曖妹な言ひ方を曖昧なままディアレクティクマンに累積することによつて、ともかく複雑な襞をはらんだ何物かを言ひ得たやうに思はれる場合が多いやうにみられるのだ。
 このことは又、章句の場合に限らず、小説全体の構成に就ても同断である。小説に首尾一貫を期さうとし、あくまで組織づけやうとすると、その聯絡毎に概して無理がともなひがちで、あくまで真実らしくしやうとすると、ここでも進行不能の渋滞を惹起しがちのものであり、その反対には不当な曲芸を犯してしまふことが多い。人間の動きは数理のやうには行かない。あらゆる可能を孕んでゐて、それのいづれもが同時に可能であることが多々ある。Aの事情からBの事情が継起する必然性は人間の動きに於ては決してないので、それ本来の条件としては寧ろ偶発的、分裂的と見る方が至当であり、これらの動きに一々必然的な聯絡をつけ、組織づけや
前へ 次へ
全11ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング