、私は、たとへば「私」とか「デアル」といふ様な頻に現れる言葉を一字の記号にした。「デアル」の未来形は記号の上へ点を打ち、過去形は下へ点を打つた。かうすると、文字の数が百字以上になるけれども、百字を覚える労力も結果に於ては速力的だと思つたのである。私は私のシステムだけはかなり合理的なつもりでゐたのであつたが、その効果を実績の上で実証するには私の根気が足らなかつたのだ。私はそれを作家精神や情熱の貧しさと結びつけて一途に羞ぢ悲しんだこともあつたが、持つて生れたランダの性は仕方がないと諦めて、今では恬然としてゐるのである。
 国際語としてのエスペラントのシステムに対しても、速力の原則から私は全く不服である。エスペラントはラテン語を基本としたものださうで、速力を基本として組み立てたものではない。若し真実の国際語が新らしく必要とすれば、単語の如きも旧来の何物をも摸してはならぬ。当然ただ簡明を第一として新らしく組織されねばならない筈だ。
 私は然し、このやうな言語や文字の(然し言語は余りに問題が大きすぎて話にならない。単に文字に限定して――新らたに文字の)改革が行はれると仮定して、それが今後の思想活
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