はん》のうちに、速力を主とした文字改革といふことの文化問題としての重大さを痛感させられた気もした。
 私達が日常使用してゐる文字は、文字がかくあらねばならぬ本来の意義、観念を速力的に、それ故的確に捕捉するといふ立場から作られたものではないのである。漢字は言ふに及ばず、西洋のアルファベットにしても、左から右へ走るといふ右手の運動の原則には合致しても、速力を原則として科学的に組織されたものではない。
 日本語のローマ字化を云々する人々があるけれども、あれはをかしい。「ワタクシ」と四字で書き得る仮名を WATAKUSHI と九文字で書かねばならぬ愚かしさを考へれば、その無意味有害な立論であること、すでに明らかな話である。日本語の発声法では、アルファベットのやうに子音と母音を別々にして組み立てるのは煩瑣でしかない。仮名は四十八文字でアルファベットは二十六文字でも、単に文字を覚える時の四十八が二十六に対する労力の差と、「ワタクシ」を WATAKUSHI と四文字を九文字に一生書きつゞけねばならぬ労力の差とでは、余りにもその差が大きすぎるやうである。
 私の徒労に帰した速記法の一端を御披露に及ぶと
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