質のものであります。宿命などというものよりも、もっと重たい感じのする、のっぴきならぬものであります。これも亦《また》、やっぱり我々の「ふるさと」でしょうか。
 そこで私はこう思わずにはいられぬのです。つまり、モラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成立たないように思われるけれども、我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖《がけ》があって、そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ、と。
 晩年の芥川龍之介《あくたがわりゅうのすけ》の話ですが、時々芥川の家へやってくる農民作家――この人は自身が本当の水呑《みずのみ》百姓の生活をしている人なのですが、あるとき原稿を持ってきました。芥川が読んでみると、ある百姓が子供をもうけましたが、貧乏で、もし育てれば、親子共倒れの状態になるばかりなので、むしろ育たないことが皆のためにも自分のためにも幸福であろうという考えで、生れた子供を殺して、石油罐《かん》だかに入れて埋めてしまうという話が書いてありました。
 芥川は話があまり暗くて、やりきれない気持になったのですが、彼の現実の生活からは割りだしてみようのない話
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