★

 昭和大学のバンド一行はねむい目をこすりながら上野駅に集合したが、歌手の小森ヤツ子が二等でなければ乗らないと言いだしたので、この旅行は出発から情勢険悪になってしまった。
 契約に際して二等車を指定するのがバンドマスターの義務である。三等に乗せるなぞとは芸術家を軽蔑している、というヤツ子の云い分であったが、これにはワケがあった。バンドマスターの谷とヤツ子はここ一週間ほど反目しあっていた。というのは、ヤツ子がキャバレーの常連の社長と飲みにでかけようとするのを谷が嫉いて、女給みたいなことをするな、バンドの名折れだぞ、と云ってヤツ子を怒らせてしまったからだ。
「ドサ廻りの旅芸人のような旅行はイヤ。誇りを持ちたいのよ」
 ヤツ子はこう云い放った。この一行はまだ二等車で興行にでかけたことがなかったが、云われてみれば、なんとなく一理あるような云い分だ。そろそろ二等車で興行にでかけたいような気分になっていたからだ。
 これもヤツ子に思召しのある田沼が心配して、谷を物蔭によび、
「ヤツ子さんの云い分も、もっともだ。どうだい、誇りをもとうじゃないか」
「誇りをもちたいのは山々だが、まだ契約金を受けとっていないから、フトコロの問題なんだ。キミ、たてかえてくれるかい」
「よせやい。そんな金があるぐらいなら、田舎へアルバイトにでるものですか。しかし、帰っちまうと困るから、ヤツ子さんだけ二等の切符買ってあげなさいよ」
「そうだなア。一枚だけなら買えるんだ。仕方がねえ」
 谷は恨みをのんで二等を一枚買った。ところが改札になると、いつのまにやら田沼も二等の切符を握っている。
「アッハッハ。歌手は二等。バンドは三等。これは芸術の格だね。では、失礼」
 田沼も歌手であった。彼はヤツ子を護衛するようにして二等車に乗りこんだ。バンド組の五名はそろって素寒貧、指をくわえて見送る以外に手がなかったのである。
 小さな駅に降りて、そこから、またバスに乗らなければならない。
「駅に出迎えもでていないのね」
 と、またヤツ子がイヤミを云った。重々もっともなイヤミではある。だから谷は一そう無念だ。
「バスには二等がないそうで、どうも、相すみません」
 腹立ちまぎれに、つい口をすべらしてしまったから、ヤツ子が顔色を変えた。自分だけ乗るつもりでタクシーを探したが、そんな気のきいた物があるような駅ではない。しかし、胸がおさまらないから、
「私は歩いて行きます。どうぞ、お先に」
「無理ですよ。三里もあるそうですから」
「いいえ、歩きます」
「こまるなア。じゃア、ボクも一しょに。キミたち、先に行ってくれたまえ。ボクたち、何か乗物さがして、追いつくから。歌手は真打だ。バンドが先にやってるうちに、静々とのりこむからね」
「よせやい。ほかに乗物はありやしないよ」
「モシ、モシ。発車いたします」
「畜生め。ウーム」
 仕方がない。バンドの五人はヤツ子と田沼を残してバスにのらざるを得なかった。
「乗物をさがして、早く来てくれよ、な」
「ああ、大丈夫」
 こういう次第で、バンドと歌手は別々になってしまった。歌手の到着が一時間もおくれたのである。
「ワガママったら、ありやしないよ。美人を鼻にかけやがって」
「悪く云うなよ。三里もある道歩くなんて意地はるとこ可愛いよなア」
「歌手なんか、いらねえや。バンドの腕を見せてやるんだ」
「そうはいかねえらしいぜ」
 とバンドの一人が楽屋の黒板を指さした。楽屋というのが小学校の教室だ。その黒板に例のポスターが一枚はってある。右下にマリリンモンローのような美女がタバコをかざして煙を吹いてる。左には薄い桃色の裸体美人。そして中央に「馬草村文化祭」美貌の女子大学生歌手。あこがれの明星。微風と恋、恍惚のメロディ。ああ、青春の文化祭。東都一流の大学バンド出演。
「なア。オレたちのことなんか、サシミのツマほどしか書いてないぜ。馬草村のアンチャンは目が高いやア」
「アドルムのみてえよなア」
 一同ヤケを起して大声で喋っている。これを小耳にはさんだ信二がシメタと思った。
 もともと信二は自分のお金モウケを考えて文化祭にのりだしたわけではない。行きがかりでこうなったが、村の若い衆にうまい汁を吸わせてみても、自分は別に面白くもない。
 しかし、大学生のバンドをよぼうじゃないかと主張しはじめた時からなんとなく狙いはあった。田舎娘を相手にしても一向に心は浮かない。なんとかして意気な都会娘とネンゴロな交際を持ちたいものだと常日頃考えていたのであるが、文化祭を機会にそんな風になりたいものだという狙いはなんとなくあった。そこで女優、ダンサー、歌手、ストリッパー、いろいろギンミしたあげく、自分の好みにも合い、また見込みのありそうなのもアルバイトの女学生芸能家だと見当をつ
前へ 次へ
全8ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング