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昭和大学のバンド一行はねむい目をこすりながら上野駅に集合したが、歌手の小森ヤツ子が二等でなければ乗らないと言いだしたので、この旅行は出発から情勢険悪になってしまった。
契約に際して二等車を指定するのがバンドマスターの義務である。三等に乗せるなぞとは芸術家を軽蔑している、というヤツ子の云い分であったが、これにはワケがあった。バンドマスターの谷とヤツ子はここ一週間ほど反目しあっていた。というのは、ヤツ子がキャバレーの常連の社長と飲みにでかけようとするのを谷が嫉いて、女給みたいなことをするな、バンドの名折れだぞ、と云ってヤツ子を怒らせてしまったからだ。
「ドサ廻りの旅芸人のような旅行はイヤ。誇りを持ちたいのよ」
ヤツ子はこう云い放った。この一行はまだ二等車で興行にでかけたことがなかったが、云われてみれば、なんとなく一理あるような云い分だ。そろそろ二等車で興行にでかけたいような気分になっていたからだ。
これもヤツ子に思召しのある田沼が心配して、谷を物蔭によび、
「ヤツ子さんの云い分も、もっともだ。どうだい、誇りをもとうじゃないか」
「誇りをもちたいのは山々だが、まだ契約金を受けとっていないから、フトコロの問題なんだ。キミ、たてかえてくれるかい」
「よせやい。そんな金があるぐらいなら、田舎へアルバイトにでるものですか。しかし、帰っちまうと困るから、ヤツ子さんだけ二等の切符買ってあげなさいよ」
「そうだなア。一枚だけなら買えるんだ。仕方がねえ」
谷は恨みをのんで二等を一枚買った。ところが改札になると、いつのまにやら田沼も二等の切符を握っている。
「アッハッハ。歌手は二等。バンドは三等。これは芸術の格だね。では、失礼」
田沼も歌手であった。彼はヤツ子を護衛するようにして二等車に乗りこんだ。バンド組の五名はそろって素寒貧、指をくわえて見送る以外に手がなかったのである。
小さな駅に降りて、そこから、またバスに乗らなければならない。
「駅に出迎えもでていないのね」
と、またヤツ子がイヤミを云った。重々もっともなイヤミではある。だから谷は一そう無念だ。
「バスには二等がないそうで、どうも、相すみません」
腹立ちまぎれに、つい口をすべらしてしまったから、ヤツ子が顔色を変えた。自分だけ乗るつもりでタクシーを探したが、そんな気のきいた物があるような駅
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