ただしい後悔と一緒に黄昏に似た沈黙がこの書斎に閉ぢ籠もるのを認められるに相違ない。順《したが》つて、このあわただしい風潮は、この部屋にある全ての物質を感化せしめずにはおかなかつたのである。たとへば、時計はいそがしく十三時を打ち、礼節正しい来客がもぢもぢして腰を下さうとしない時に椅子は劇しい癇癪を鳴らし、物体の描く陰影は突如太陽に向つて走り出すのである。全てこれらの狼狽は極めて直線的な突風を描いて交錯するために、部屋の中には何本もの飛ぶ矢に似た真空が閃光を散らして騒いでゐる習慣であつた。時には部屋の中央に一陣の竜巻が彼自身も亦周章てふためいて湧き起ることもあつたのである。その刹那偉大なる博士は屡々《しばしば》この竜巻に巻きこまれて、拳を振りながら忙がしく宙返りを打つのであつた。
さて、事件の起つた日は、丁度偉大なる博士の結婚式に相当してゐた。花嫁は当年十七歳の大変美くしい少女であつた。偉大なる博士が彼の女に目をつけたのは流石に偉大なる見識と言はねばならない。何となればこの少女は、街頭に立つて花を売りながら、三日といふもの一本の花も売れなかつたにかかわらず、主として雲を眺め、時たまネオン
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