を懲す勇士はなきや。蛸博士を葬れ! 彼を平和なる地上より抹殺せよ! 諸君は正義を愛さざる乎! ああ止むを得ん次第である。しからば余の方より消え去ることにきめた。ああ悲しいかな。

 諸君は偉大なる風博士の遺書を読んで、どんなに深い感動を催されたであらうか? そしてどんなに劇しい怒りを覚えられたであらうか? 僕にはよくお察しすることが出来るのである。偉大なる風博士はかくて自殺したのである。然り、偉大なる風博士は果して死んだのである。極めて不可解な方法によつて、そして屍体を残さない方法によつて、それが行はれたために、一部の人々はこれは怪しいと睨んだのである。ああ僕は大変残念である。それ故僕は、唯一の目撃者として、偉大なる風博士の臨終をつぶさに述べたいと思ふのである。
 偉大なる博士は甚だ周章《あわ》て者であつたのである。たとへば今、部屋の西南端に当る長椅子に腰懸けて一冊の書に読み耽つてゐると仮定するのである。次の瞬間に、偉大なる博士は東北端の肱掛椅子に埋もれて、実にあわただしく頁をくつてゐるのである。又偉大なる博士は水を呑む場合に、突如コップを呑み込んでゐるのである。諸君はその時、実にあわ
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