て今や、唯一策を地上に見出すのみである。然り、ただ一策である。故に余は深く決意をかため、鳥打帽に面体を隠してのち、夜陰に乗じて彼の邸宅に忍び入つたのである。長夜にわたつて余は、錠前に関する凡そあらゆる研究書を読破しておいたのである。そのために、余は空気の如く彼の寝室に侵入することができたのである。そして諸君、余は何のたわいもなくかの憎むべき鬘を余の掌中に収めたのである。諸君、目前に露出する無毛赤色の怪物を認めた時に、余は実に万感胸にせまり、溢れ出る涙を禁じ難かつたのである。諸君よ、翌日の夜明けを期して、かの憎むべき蛸はつひに蛸自体の正体を遺憾なく曝露するに至るであらう! 余は躍る胸に鬘をひそめて、再び影の如く忍び出たのである。
しかるに諸君、ああ諸君、おお諸君。余は敗北したのである。悪略神の如しとは之か、ああ蛸は曲者の中の曲者である。誰かよく彼の神謀遠慮を予測しうるであらう乎。翌日彼の禿頭は再び鬘に隠されてゐたのである。実に諸君、彼は秘かに別の鬘を貯蔵してゐたのである。余は負けたり矣。刀折れ矢尽きたり矣。余の力を以つてして、彼の悪略に及ばざることすでに明白なり矣。諸氏よ、誰人かよく蛸
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