太平洋の如き諸君よ、諸君はこの悲痛なる椿事をも黙殺するであらう乎。即ち彼は余の妻を寝取つたのである! 而して諸君、再び明敏なること触鬚《しょくしゅ》の如き諸君よ、余の妻は麗はしきこと高山植物の如く、実に単なる植物ではなかつたのである。ああ三度冷静なること扇風機の如き諸君よ、かの憎むべき蛸博士は何等の愛なくして余の妻を奪つたのである。何となれば諸君、ああ諸君永遠に蛸なる動物に戦慄せよ、即ち余の妻はバスク生れの女性であつた。彼の女は余の研究を助くること、疑ひもなく地の塩であつたのである。蛸博士はこの点に深く目をつけたのである。ああ、千慮の一失である。然り、千慮の一失である。余は不覚にも、蛸博士の禿頭なる事実を余の妻に教へておかなかつたのである。そしてそのために不幸なる彼の女はつひに蛸博士に籠絡せられたのである。
 ここに於てか諸君、余は奮然|蹶起《けっき》したのである。打倒蛸! 蛸博士を葬れ、然り、懲膺《ちょうよう》せよ憎むべき悪徳漢! 然り然り。故に余は日夜その方策を錬《ね》つたのである。諸君はすでに、正当なる攻撃は一つとして彼の詭計に敵し難い故以《ゆえん》を了解せられたに違ひない。而し
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